ぼくらが中曽根康弘氏から学べるいくつかのこと。その7

ギョーカクにミンカツ。
カタカナで書くとなんとなくB級グルメっぽいが、行革と民活と書く。
行革、行政改革と民活、民間活力の略で、中曽根政権のころよく言われたスローガンである。

 

〈中曽根は当時、第一次答申の理念に関して、「フリードマン式の自由主義というものを完全に日本で行うことは、必ずしも適当でない」と述べている。「ケインズ流でやってきて、公債が大きくなりすぎ財政的破綻の寸前まできた。……手術のメスとして、当面はフリードマンを活用していい。しかし、日本の本来の体質から見れば、やはり混合経済的体質の必要性は厳然としてある」。そして、「日本の本来の体質」とは、(中曽根にとって)「集団意識の強さ」であった。(略)つまり、中曽根は、(社会工学者)香山(健一)らと同じく日本的集団主義を擁護したのであり、あくまで限定的な手段として新自由主義的改革を用いたにすぎなかったということができる。〉(中北浩爾『自民党政治の変容』NHK books p.121 括弧内は筆者)

 

中曽根氏が亡くなってTwitterに流れたツイートの中に、「小泉・竹中らの新自由主義的な国家解体は中曽根から始まった」というような批判があった。
たしかに表層だけみれば、国鉄や電電公社の民営化など、国家資産を民間へ「売り渡す」的な「改革」は中曽根政権から始まった。
ただ、前掲書引用部分が正しいなら、中曽根氏にとってはいわゆる新自由主義的手法は、『英国病』やグローバルでインターナショナルなコミュニズムの脅威(控えめに言っても国鉄の労働組合の活動の一部には過剰なものがあったという認識が政権にあった)から、ナショナルなものを守るための「劇薬」だったことになる。
ただし、「劇薬」は時に効きすぎる。

 

西側国家群でとられた新自由主義的手法が、グローバルでインターナショナルなコミュニズムからネーションを守ったものの、その反動でグローバルでインターナショナルかつグリーディなハイパーキャピタリズムをアクセレートさせ、ステートとコミュニティをカタストロフィに近づけてしまったのは歴史のアイロニーだ。我々はこれを負のレガシーとして、反面ティーチャーとするのがマストである。ルー大柴フォーエバー。

 

………取り乱して大変失礼しました。
ええとですね、なにを言いたいかというと、やったこと、政策や施策は継承されても、なぜそうした政策や施策を打ったか、という思いの部分はなかなか継承されないよなあ、というのが、中曽根康弘氏から学べることの一つではないか、と。
(続く)

 

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