ぼくらが中曽根康弘氏から学べるいくつかのこと。その6

〈二〇〇三年十月二十三日午前九時十五分。約束の時間どおりに小泉純一郎総裁が、私の執務室の入り口にあらわれました。
(略)彼の言葉を待ちますが、やはり小泉君は私を見ようとしない。ようやく目を合わさぬまま、口を開きました。
「中曽根先生は、国内的にも国際的にも、どういう地位になっても、その発言や行動に皆さんが注目し、影響力があります。今後もそういう形でご活躍願いたい」
いつもの短く切れる口調で早口に、それだけでした。要するに衆議院議員を引退してくれということでした。
(略)
「一九九六年の候補者調整の時に、私を『終身比例代表一位』とした約束を守って欲しい。あれは、党の公約だ。これでは、自民党は老人はいらないとの印象を持たれる。君は、インドネシアでもタイでも、記者との懇親会の席では、本人の判断に従うと言ったはずだ。私は今までそれを信用してきた。突如おいでになり、そういうことを言う。非礼なやり方ではないか」〉(中曽根康弘『自省録』新潮社2004年 p.9-10)

 

先日亡くなった中曽根康弘氏を、生きることの先達として見てきた。褒めてばかりではなく反面教師として見てみたい。
要点は3つ。

 

・引き時は、難しい。
・思いは、継承されない。
・思想的後継者を、育てられるか。

 

冒頭の小泉純一郎氏からの突然の引退勧告のシーンは、中曽根康弘氏の著作『自省録』のいちばん最初に出てくる。
衆議院の自民党『終身比例第一位』というのは、永遠かつ自動的に議員を続けられるポジションだ。
それを突如として剥奪されたわけで、さぞ納得がいかなかったと思われる。

 

組織のトップあるいは元トップというものを考えたときに、通常は必ず「引く」=引退するときがやってくる。
以前は飛ぶ鳥を落とす勢いだったトップや元トップにも、悲しいかな衰えというのは来る。
衰えたトップ・元トップが組織にい続ければ次世代はやりにくいし、衰えた判断力で突拍子もないことを言ったりやったりしかねない。
そんな時に自ら身を引けるかというと、おそらくとてつもなく難しい。
「まだやれる」「まだまだ若い者には任せられない」と言って、下手に現場に口をはさんで混乱させたりしてしまう。

 

元内閣総理大臣である中曽根康弘氏ですら自分の「引き時」は分からず、引退勧告を受ける羽目になった。
引退勧告を受ける側になるか、その前に引退勧告をする立場になるかは分からぬ。だが、職業人生においてそうした瞬間がやってくることもあるというのは、頭の片隅に入れておいてもよいだろう。
(続く)

 

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