「我々の時代には、『こうした日本にしないと!』というものがあった。首相公選制であるとか。
いま、そうした若い者の力が摩滅しているという危機感を持っています。
心ある者が日本全国に三々五々散って、先導者とならねばならない。
…思想家が少なくなってしまった。
『こういう日本にしなければ』という思想家が、今は少ない」
話の終わりころ、中曽根康弘氏はそう言った。
2010年、6月の下旬のことだ。
中曽根氏が聖人君子だとも思わないし、左派からも民族右派からも大批判されている人物であるのも心得ているが、いくつもの学ぶべき点があると思い、徒然なるままに書く。
〈鈴木首相が、「辞職のことは当分厳秘にして十月十二日頃、派閥の幹部に自ら示達する予定である」と打ち明けたので私は、組閣や党運営の人事、如何なる政策を実行するかなどについて、密かに一人で検討を開始しました。大体の政策は私が三十年来、内政・外交等の政策について時折書き綴った三十数冊のノートや、それを集大成し、一九七八年十月に出版した私の著書『新しい保守の論理』等を参照して考え抜きました。〉(『自省録』p.153-154)
総理大臣に社長に会長、議長に教授に事務次官。
世にトップリーダーと呼ばれる座は多く、そのトップの座を狙う者はなお多い。
何パーセントかの者だけが、努力と運と縁と巡り合わせによってそのトップの座に着く。だが、いざトップの座に着くときに、「国は/会社は/組織はかくあるべし」とか「自分がトップになったらこんなことをやってやろう、あんなことをやってやろう」と三十年来考え抜いた三十数冊の施策ノートを手にしている者は、おそらく、少ない。
〈政治とは「お世辞と人の生死」との間を往来するものである。当選のためにはお世辞も必要であるが、国民や人類の生死にかかわる境については凛然たるものがなければならない。〉(『私の履歴書 保守政権の担い手』p.572)
Be prepared,備えよ常に。
トップの座につくためにトップの座を守るために、あるいはただ単に生きていくためだけにだってお世辞の世界も必要だろう。だが、その身の内に〈凛然たるもの〉を持って生きていくためには、いざというときがくるまで何十年間も考え抜いて備えなければならない。
(続く)