『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)をあえて批判的に読むという試みをしている。
同書では地球温暖化という人類の危機に対する処方箋として、「潤沢なコミュニズム」を掲げている。
同書の掲げる「潤沢なコミュニズム」による地球温暖化阻止の高きハードルとして二つのことを挙げたい。
すなわち、
・「みんな」でやらねば意味がない。
・「みんな」でやるとうまくいかない。
以下、詳しく述べる。
左派的運動のテーマソングは「インターナショナル」だ。
左派的運動や左派的思想に基づいたコミュニティ作りをしたければ淡々と己が道を行けばよいようにも思うが、いわゆる左派的運動はすぐに国境を越えて万国の労働者と連帯したがる。
これはなぜか。資本が国境を越えて移動するからだ。
たとえばある国Aで一日の労働時間をガチガチに8時間に厳守したとする。隣国Bでは労働時間は16時間まで可とされているとすると、早晩A国の資本はB国に移動するだろう。時間あたりの人件費が安くなるから、A国の労働者は解雇され、移動した資本はB国で経済活動を始める。
A国の左派運動家が良かれと思って始めた労働規制が裏目に出る。
だから左派的運動は「インターナショナル」をテーマソングとして、「いっせーのせ」で国境を越えて「みんな」で動くことを強いられる。
「潤沢なコミュニズム」もまた、同じ宿命を持つ。
一国だけで「潤沢なコミュニズム」に基づく脱成長をし、温暖化を阻止しようとしても実効性が乏しい。資本は脱成長エリアから脱出し、成長礼賛国家へ移るだろう。そして成長礼賛国家で富と二酸化炭素を生み出すのだ。
だから「潤沢なコミュニズム」に基づき脱成長し、温暖化阻止をしようとするならば、「いっせーのせ」で「みんな」でやらなければならない。だがそれは容易ではない。
グローバルサウスの新興国は成長を要求する。
そしてまた極北の地域にとっては、少々の温暖化は局地的にプラスに働くと捉えられてしまうかもしれない。
北極の氷が溶けたらロシアとヨーロッパをつなぐ最短航路が生まれる。シベリアは穀倉地帯になるかもしれない。
長春やハルビンだってえらいこと寒いし、温暖化が進むまでせっせと富と二酸化炭素をうみだし、温暖化が進んで臨海部に人が住めなくなったら内陸と北のほうに人を移動させればいいや、と中国指導部は考えているかもしれない。
そしてロシアと中国は、国連で拒否権を持つ二大国である。
要は「潤沢なコミュニズム」により脱成長して温暖化阻止をしようとしても一国では限界があるというのが冒頭の「みんなでやらねば意味がない」の内容である。そして「潤沢なコミュニズム」による脱成長を世界中「みんな」でやるために足並みを揃えるのは、並大抵のことではないだろう。
もう一つの、「みんな」でやるとうまくいかないの「みんな」は、運動体の内部構成員を指す。
資本に抗するために生産手段と意志決定を「みんな」でやればうまくいく、それが「潤沢なコミュニズム」だ、と上掲書は説く。
しかしながらこの部分について、個人的には悲観的にならざるを得ない。
人類史を振り返って、「完全にフラットな組織」がうまくいったためしは無いのではないか。
メンバー全員が完全にフラットで話し合って物事を決める、というと聞こえはよいが、メンバーそれぞれの温度差やコミットメントのしかたは異なるから、完全にフラットな組織というのはうまくいかないとぼくは思っている。
みんなで平等にやれば今よりうまくいく、というのは幻想で、「潤沢なコミュニズム」に基づきみんなで決めてみんなでやっていく、といいながらそのうち「民主集中制」みたいなことが出てきてしまうのがオチではないかと、ぼくは恐れるのだ。
(続く )