13歳の時に、宗教の先生が生徒たちに聞いた。
「君たちは、ほかの人たちに何によって憶えられたいかね」
生徒たちは誰も答えられなかった。
先生は言った。
「今答えられなくてもかまわない。
でもね、50歳になっても自分が何によって憶えられたいか答えられなければ問題だ。
50になって答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるのだから」
ドラッカーがそんなことを書いている(『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社 2000年 p.234-235、『非営利組織の経営』2007年 p.219-220など)。
40代後半になって思うところをつらつらと書いている。
今日このごろ沁みる話の一つとして、柳沢きみおの短編マンガ『流行唄(はやりうた)』を挙げたい。全21話、1991年、柳沢氏が33歳ころの作品だ。
主人公は郡司正直45歳、レコード会社の敏腕副社長。
舞台は1990年代初頭、CDがドラマのタイアップなどで爆発的に売れていた時代。『ラブ・ストーリーは突然に』(1991)が270万枚、『SAY YES』(1991)が300万枚(累計)、『おどるポンポコリン』(1990)が190万枚(累計)とか、そんな時代の話だ。
飛ぶ鳥を落とす勢いで出世し続ける主人公郡司のもとに、ある日一枚のハガキが届く。
差し出し人は行ったことも聞いたこともない、津軽の民宿。
ハガキには、「山地生一郎さんが亡くなった。山地さんから、あなたに連絡して欲しいと遺言があったので、お伝えする」と書かれている。
しかし、山地生一郎なんて名前に覚えはなく、郡司はそのハガキをくずかごに投げ捨て、今日もまた激務に向かう。だがしかし。
(この間、1週間ほど間があいてしまいまして、テンションがやや下がり気味となってからの続き↓)
いやもう「誰得」なんですけどね、柳沢きみおの漫画の話の続き。
それにしてもいつも「柳沢きみお」なのか「柳沢みきお」なのか悩むよなあ。特命係長只野仁になんとかして欲しい。
えーと、柳沢きみお氏の漫画に『流行唄(はやりうた)』という短編がありまして、これが40代後半のわが身に沁みる、というお話でした。
発表と舞台は90年代初頭。主人公の郡司はレコード会社副社長で45歳なんですね。ちなみに90年代初頭はドラマのタイアップとかでCDがバカ売れしてレコード業界が急成長し、一兆円産業になり始めた時代です。
んで、主人公郡司は社内でも出世頭。業界は急成長、自分も次は社長かってところに一枚のハガキが届く。差出人は見知らぬ津軽の民宿のおかみ。「山地生一郎さんが亡くなった」と書かれている。
「そんなヤツは知らない」と一度はハガキを捨ててしまうんだけれど、ふとした瞬間に思い出します。
山地生一郎とは、学生時代の大親友、後藤一郎の作詞するときに使っていたペンネームだと。
学生時代、郡司は作曲、山地こと後藤は作詞して曲を作りプロを夢見ていたのです。
津軽からのハガキは、その大親友が亡くなったことを告げる手紙だったのです。
その後、紆余曲折あり、郡司は一大決心をし物語は幕を閉じます。
ネタばれはしませんが、主人公の郡司の思いは一つ。いつか自分が世を去る日が来ても、だれかに「そういえば郡司ってやつがいたっけなあ」と思い出してもらいたい、ということ。そのために郡司は一大決心をするのです。そう、ほかの人に何で憶えておいてもらいたいか、という話です。
柳沢きみお『流行唄』全21話、kindleにありますのでよろしければぜひ。40代、特に男性には沁みると思うんですよねー。