ウソが恋を生むように、誤解はときに文化を生む。時計の針が12時を回り、頭をよぎったのはそんな言葉だった。
12時までに家に帰らなければ、と急いだシンデレラが残したものはガラスの靴だった。
12時を過ぎたら魔法は解け、馬車はカボチャに、ドレスはつぎはぎだらけの服にもどってしまう。だがどうして、ガラスの靴だけは元に戻らなかったのだろうか?魔法が解けたらガラスの靴だって消えてしまいそうなものなのに。
靴だけは魔法使いが直接シンデレラに与えたという話がある。もともとシンデレラは裸足で働いていたため、ボロボロの靴さえ履いていなかったというのだ。
しかももともとの民話では「毛皮/vaire/ヴェール」の靴だったのを、ペローが「ガラス/verre/ヴェール」の靴と勘違いしてガラスの靴のイメージが誕生したという説があるそうだ(諸説あり)。
ガラスの靴なんてものはえらく歩きにくそうだし、舞踏会には不向きだが、毛皮の靴のままだったらシンデレラの華やかさはずいぶんと減ってしまうようにも思われる。
誤解が文化を生む例はほかにもある。火星人の話だ。
1877年に火星が地球に大接近したときに、イタリア人天文学者スキャパレリは火星の表面に筋状のものが見えることを発見した。この筋状のものをスキャパレリはイタリア語で「みぞ/canali」と書き記したが、これが英訳されるときに「運河/canal」と誤解されてしまった。
これをみて英語圏では「火星には運河がある!」と大騒ぎになり、運河があるからには火星人がいるに違いない、という話になった(引用元
https://www.i-kahaku.jp/magazine/backnumber/35/02.html )
もともとはcanaliをcanalと誤解したのが発端だが、この誤解がなければHGウェルズの「宇宙戦争」もブラッドベリの「火星年代記」も、ひいては山田芳裕の「度胸星」もなかったかと思うと味わい深い。テセラックはどうなったかなー。
ほかにも誤解による文化の誕生というのはあちこちにあって、例えばイチョウの学名はGinkgo bilobaだが、これはその昔ケンペルという学者が日本語のginkyoをginkgoと誤記した名残だし(イチョウ - Wikipedia )、「ブリキ」という言葉も金属の箱に入ったレンガをbrickと呼んだのを勘違いして金属=ブリキとして日本語に定着してしまったという説がある(諸説あり。ブリキ - Wikipedia )
誤解が文化を生むと言えば、エイプリル・フールの風習もその一つだ。
エイプリル・フールの起源はフランスだという説がある。
フランス語ではエイプリル・フールのことを「四月の魚/Poisson d'Avril/ポワッソン・ダヴリル」という。
だが実は、これはもともと「四月の毒/Poison d'Avril/ポワゾン・ダブリル」だった。
チャールズ・マッケイ『狂気とバブル なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(パンローリング株式会社)によれば、ヨーロッパでは16世紀初頭から17世にかけて毒殺が流行した(同書第4章)。
フランスでは1670年から1680年にかけて毒殺が大流行し、この時期<書簡作家のセビニエ夫人もその書簡の中で、フランス人と毒殺犯が同義語になってしまうのではないかという懸念を表していたほどだ>(同書第4章 kindle版2320/13689)という。
その中でも悪名高かったのはブランビリエ侯爵夫人で、この人は愛人サント・クロワの歓心をかうために自らの父や兄を毒殺しただけでなく、実験のために多くの病人に毒入りのスープを飲ませたりしている。
ブランブリエ侯爵夫人は結局1676年7月16日、パリにて処刑された(kindle版2439/13689)。
ブランブリエ侯爵夫人が処刑されたあともフランスでは毒殺の流行は止まらず、かえって盛んになるばかりだった。政府としてはこれを見過ごすわけにはいかなかったが、かといって無数の毒殺事件を立証するのはほぼ不可能であった。
この状況に苦渋の決断を下したのが当時政府の中枢にいたPierre Daresolet/ピエール・ダレソレである。
哲学者でもあったDaresoletは、古代ローマの思想家Guglecus/ググレカスの信条「鵜呑みにするな、自ら調べよ」の言葉に忠実に生きた人でもあった。Daresoletはフランス全土から可能な限り毒を集めさせ、自ら試していったのだ。
その結果、気候と毒の効果の相関関係が明らかになったのである。
フランスの春は遅い。
日本では温かくなる4月でも、フランスでは朝夕10℃ほどと冷える。
手足が冷えて全身の血のめぐりが悪くなるこの時期に毒を飲まされた場合、他の季節に比べ若干効きが悪いことをDaresoletは発見した。
毒殺の流行を完全に断ち切るのは難しいと彼は考え、被害を最小限に食い止めるために第一段階として1年のうち4月のみを毒殺を許可する月とした。この決定は当初反発を受けたが、最終的にフランス人に受け入れられることとなり、のちに「四月の毒/Poison d'Avril/ポワゾン・ダヴリル」と呼ばれることになる。
その後時代が変わると毒自体がより厳密に禁じられるようになった。
毒が人間の体を滅ぼし毒殺の流行が世界を破滅させる寸前まで行ったことを忘れぬように、物理的な毒のかわりに言葉の毒である「ウソ」をあえて口にすることで戒めとしたのがエイプリール・フールの始まりだ。
ウソをついてよいのは4月1日の午前中だけ。これは<真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。>という教えに従ったものであろう。
こうしてさらに数百年たち、それがいつの間にか毒は不吉だということで「四月の魚/Poisson d'Avril/ポワッソン・ダヴリル」と誤記されるようになった(『男が酒なら女はボトル/やっぱり嘘は罪』民明書房刊より)。
今となってはウソと誤解と魚と毒の関係を知る者はいなくなったが、そもそも上記の「四月の毒」やムッシュウ・ダレソレの話ももちろんウソなのはいうまでもない。
お互いに、毒にもウソにも気を付けたいものである。
皆様、良いエイプリル・フールを。