生産性向上の果て(再掲)

ずいぶん前から考えているテーマで今のところまだ答えが出ないものの一つが、「生産性の上がりすぎた世界で、ひとはどう働くのか」ということだ。

話を簡単にするために、人口100人の村を考えてみる。
この村で、ひとりの人が1年間生きていくのに1の食糧が必要だとする。
村全体では1年間に100の食糧が必要となる。...
昔むかしは1人の村人が自分で畑を耕したり狩りをしたりで1の食糧を作り出し、お互いの生産物を売ったり買ったりでプラスマイナスゼロ。
だがここでAさんがロボットを発明し、ひとりで80の食糧を作れるようになった。
さて、Aさん以外の99人は何をして生きていけばいいのでしょうか。

Aさん一人で80の食糧を作れるんだったら万々歳で、残りの99人は働く量を減らしてあとは遊んで暮らせばいい、とも思うが、それはAさんが食糧を分けてくれればの話。
Aさん側にとってはみんなに食糧をタダで配る理由がない。
お金を払って売ってもらうことになるのだろうけど、そのお金をどうやって稼げばよいのか。
今まで通り作物を作って誰かに売ってお金を得ようにも、Aさんが作るもののほうがはるかに安くできるから(ロボットを使っているのでかかる労力が80分の1だ)誰も買ってはくれない。

ミクロの視点、個人の戦略としては「高品質で付加価値の高いものを作って、Aさんの作物より高く買ってもらう」というものがある。
また、Aさんが作り出す安価な商品の市場に背を向け、数人の仲間と山奥で自給自足の共同体を作って暮らす、<ヒッピー・コミューン>作戦もある。
ロボットのせいで働き口がなくなったんだと怒り狂ってロボットを打ち壊す方向もある。
ラッダイト運動というやつですね。

このたとえ話で考えても考えても正解にたどり着かないのは、全体としてどうするのが一番いいか、ということだ。
ロボットを禁止する、というのも社会の進歩を止めることになり違う気がする。
食糧を買うお金を村人全員に無条件で配る方法(ベーシックインカム)も、村人に働く意欲を無くさせる(そもそも働き口があるかという問題もあるが)だろう。
妥当な線としてはAさんから税金をとって、それをいろんな形で分配していくということなんだろうけど、Aさんからすれば「ロボットを作るチャンスは皆にあったはず。なんで一生懸命努力した俺が、努力していない残りの人たちのために税金を払わなければいけないんだ」って感じだろう。
村全体の方向性として、ほかの村に出かけていってAさんの安い作物を売りつけるという帝国主義的なアプローチもあるにはあるが、そうするとほかの村ともめるしなあ。

例え話はそれくらいにして、実際の生活ではセルフサービスのガソリンスタンドでガソリンを入れたり、駅の自動改札を通ったりするたびに、昔そこで働いていたであろう人たちは果たしてどこへ行ったのか考えるわけです。
もうちょっとうまいモデルを思い付かんといかんですが、こうして秋の宵も深まっていくわけですね。
(FB2014年10月7日を再掲)

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