テレビや雑誌では「○○が健康に効く」なんて話があふれているが、なかなかホンモノの情報というのは少ない。多くのネタがしばらくの間、人々の話題となりそして忘れ去られていく。
ここのところしぶといのが「ココナツオイルが認知症に効くって聞いたけど」という話題だ。
血液を固まりにくくする薬ワルファリンは、スイートクローバーを餌として与えられた牛が出血死してしまうところから発見された。免疫抑制剤のタクロリムスは筑波山の土の中の細菌から見つかった。動脈硬化を防ぐ薬EPAは、イヌイットが心疾患で死ぬ確率が低いことに着目されて彼らが多く食べる魚の脂肪から分離された。
これからも自然物質から病気の治療に有用な物質が見つかることは多いにあり得る。
だがしかし、ココナツオイルが認知症に効くという証拠は、現時点では、不十分だ。
「ココナツオイルが認知症に効くって本当?」と医者に聞いたときに返ってくるであろう答えは3つ。
「エヌが少ないからなー」
「バイアスがねー。ちゃんとブラインドで確かめてないでしょ」
「人間の体って複雑だからね」
上の二つについてはすでに述べた。
「人間の体って複雑」について述べる。
国立がん研究センター予防研究グループによれば、女性2万人にアンケート調査を行った結果、「1日に3倍以上味噌汁を飲む女性は乳がんの発生率が40%も低くなる」ということが明らかになった(国立がんセンターサイト:
大豆・イソフラボン摂取と乳がん発生率との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 国立研究開発法人 国立がん研究センター 社会と健康研究センター 予防研究グループ)。
同研究では、味噌汁に含まれているイソフラボンが乳がん発生を減らすのではないか、という仮説を立てているが、人間の体が複雑なのはここのところだ。アンケート調査に基づいた研究には限界があって、「味噌汁を1日1杯も飲まない女性」と「味噌汁を1日3杯以上飲む女性」がまったく同じライフスタイルをしているかわからないのだ。
「味噌汁を1日に一杯も飲まない女性」たちは、もしかしたらものすごく忙しくて時間に追われて味噌汁なんか作ったり飲んだりすることができない働きかたをしている人たちかもしれない。
それに対し「味噌汁を1日に3杯以上飲む女性」たちは時間にも心にも余裕があって、毎日ゆっくり出汁をひいて味噌汁を作って飲むことができる暮らしかたをしているのかもしれない。
もしそうだとすると、一日に飲む味噌汁の杯数というのは本質ではなくて、時間と心に余裕があるかどうかが乳がんの発生率を左右するのかもしれない。
もちろんすべては「かもしれない」だ。だが、「1日に3杯以上味噌汁を飲む女性は乳がんの発生率が低い」ことをすぐに「味噌汁が乳がんに効く」とするのは短絡的だということはわかっていただけるのではないだろうか。
また、ライフスタイルだけでなく、人間の体には個人差がある。
酒に強い人もいれば一滴も飲めない人もいるように、薬が効きやすい人と効きにくい人もいる。
「マウスの実験で○○が××に効いた」というニュースを見ることがあるが、実験で使われるマウスにはほぼ個体差はない。C57BL/6とかなんとか、同じ家系のマウスを何十代にも渡り交配させ続けほぼ100%同じ遺伝子同じ体質を持つマウスを使って実験をするのだ。だからマウスで効果がみられた物質も、すべての人間に効果があるかどうかはわからないのだ。
だからココナツオイルに限らずある物質が病気に効くかどうかは、nの多い実験をバイアスを排してブラインドでやってみてはじめて実証できる。そのためには莫大な時間とお金とマンパワーがかかってしまうので、夢の新薬はそうそう登場してこないのだ。
そうした事情を知ってか知らずか、病気の治癒を願う人に高額なインチキ商品を売ろうと近寄ってくる輩があとを絶たない。テレビや雑誌やネットにもインチキ情報が氾濫している。
わらをもつかむ思いはわかるが、そうした怪しげな情報に接した場合には「効いたというけど、エヌはどうなの?」「病気が治った人がいると言うけど、ブラインドで確かめた?」「人間って複雑だけど、そこらへんは大丈夫?」と健全な批判精神で見ていただければ幸いである。