そしたらなんかHなページがめちゃくちゃいっぱいで人前で読めないんです。
で、よく見たらなんか『飲み続けると、すごい副作用があなたの体を壊す』、『ジャヌビアもエクアもネシーナも糖尿病の薬はもう飲まなくていい』、とか書いてあるんです。
もうね、エロかと。デマかと。
…さてと。
やっぱり買ってしまった週刊現代。まさかの4週連続購入である。
今回槍玉に挙がっているのはジャヌビア、エクア、ネシーナ、オイグルコン、アマリール、グラクティブといった糖尿病の薬。プラビックス、アスピリンといった抗血小板薬、ブロプレス、オルメテック、ミカルディス、ディオバン、アダラート、アムロジン、コニールという降圧薬、相変わらずのクレストールやリピトールなどの高コレステロール血症の薬。新顔としてザイロリックやフェブリクなどの痛風の薬やトリキュラー、ルナベル、ヤーズなどの婦人科系の薬やPL顆粒といった風邪の薬も登場している。
正直、今回週刊現代を購入すべきかどうかちょっと迷った。先週の第3弾は、薬に関しては第1弾、第2弾とほぼ同じ内容だったからだ。
しかし買ってみるものだ、週刊現代。内容が、少し進化しているのだ。
ナイショだが、ちょっと感動したことを告白する。もしかしたら担当のライターが前回までと変わったのかもしれない。
第4弾の特集で進化している点は三つある。小さな点からみていく。
6月11日号『ダマされるな!医者に出されても飲み続けてはいけない薬』p.45では「偏頭痛」という表記だったものが、7月2日号p.178ではきちんと医学的な表記「片頭痛」と直っている。日常会話では「偏頭痛」、「片頭痛」両方とも使うが、医学用語では「片頭痛」が正しい。
細かいことだがこうした表記を間違えると議論の信ぴょう性が落ちる。
たとえば週刊現代特集を批判する文章の中で、「週間現代は間違ってる」「週間現代は大間違い」と書いてあるのを見つけたら、誰だって「間違ってるのはお前だよ」とつっこみたくなるだろう。
テクニカルタームをきちんと使うのはとても大事なことなのだ。
週刊現代特集の進化② 薬そのものを敵視から「飲み合わせ」の危険性に注目
第1-3弾までがとにかくメジャーな薬をなんでもいいから危険視・敵視していたのに比べ、今回の第4弾では『生活習慣病薬 「飲み合わせ」を間違うと死にます』では、薬の相互作用について注意を喚起している。
一例ではロキソニンとクラビットの飲み合わせでけいれんを起こす危険があると触れている。これはまったくもって正しい。
たくさんの薬を飲むことで怖いのは相互作用である。
薬の数が増えれば増えるほど相互作用の危険は高まる。
薬はなにも飲むな、という警鐘は非現実的だが、今回のように薬○○と薬××の組み合わせは危険という注意記事はたいへん有用だ。
週刊現代特集の進化③ 出典・ソースを明示する姿勢
<イギリスの大規模な疫学調査研究「ミリオン・ウィメン・スタディ」によれば(略)>(p.178)。
今回の記事でちょっと感動したのはこの部分だ。
第1-3弾では、N大名誉教授がこう言った、とかある医師の経験では、といった個人ベースの話をつぎはぎして記事が作られていた。
しかし第4弾の記事で進化している点は、上記のように、根拠を検証可能な形で提示している点だ。
担当ライターが変わったのではないかと思う理由はこれで、読者が検証可能な形で根拠・出典・ソースを示すという姿勢をきちんとできている医療批判本はほぼ皆無なのだ。
筆頭は近藤誠の本で、彼の著作『医者に殺されない47の心得』『クスリに殺されない47の心得』には参考文献が一切明示されていない。ただ「アメリカの研究では」「海外では」と書いてあるだけ。
根拠・出典・ソースを明示し、読者の検証が可能なようにしておくというのは、研究者の基本であり、知的誠実さの表れだ。
第4弾のライターはそれがわかっている人なのだと思う。
この一点において、近藤誠の本より今回の週刊現代特集のほうが10倍優れている。
根拠・出典・ソースを明示し、他者が検証可能なようにしておくことの大事さについて例を取って説明する。
例えばこういう一文があったとする。
・「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」。幕末から明治にかけて活躍したある偉人の言葉です。
これを読んだ人は、そのまま無批判にうのみにして、幕末から明治にすでに平等思想が重要視されていたというふうに感じるだろう。
しかしこれをきちんと出典を明示するとこうなる。
・「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」。福沢諭吉『学問のすすめ』の中の言葉です。
これを読んだ人の10人中9人は「ふーんそうか、福沢諭吉は平等思想を大事にした人だったんだな」と思ってスルーしてしまう。しかし出典を明示しておくと、10人中1人くらいは実際に『学問のすすめ』を手に取って、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」のあとに、<されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや>(『学問のすすめ』青空文庫版より)とあるのを発見する。
そして福沢諭吉の『学問のすすめ』のメインテーマが人間の平等ではなく、平等に作られた人間が実際には不平等であるのは学問があるかないかが原因だ、だからこそ『学問のすすめ』なのだ、ということに気づくことができる。
逆に言えば、議論をするときに出典・根拠・ソースを明示し他者が検証可能なようにしておかないと、テキトーなことをテキトーに引用して自分の好きなようにものが言えてしまう。極端な場合、ありもしないことをさももっともらしく「海外の研究では◯◯なのが明らか」と言えてしまう。
今回の記事を読んだ人は、その気があれば「ミリオン・ウィメン・スタディ」や「アコード試験」(p.170)を検索して調べ、週刊現代の記事を批判的に(ここで言う批判的は、鵜呑みにしない、程度の意味)読むことができる。これは知的公正さのあるやり方だ。
出典・根拠・ソースを他者が検証可能な形で明示したのは第4弾がはじめてで、これが週刊現代特集が進化していると感じた根拠である。
上から目線で恐縮だが、週刊現代ウオッチャーとしてほめるべき点はフェアにほめておきたい。
もちろん第4弾の記事にもたくさん訂正すべき点はあるが、それは明日か明後日にでも。