風さえもやんでもわんとした真夏の大気の中をのたのたと歩いていると、八百屋の店先で店主が文庫本を手にじっと腰かけているのが目に入った。文庫本の、はじめから3分の1程度のページを開いてただ見つめているようにも見える。
昼過ぎのことで買い物客はひと段落して店にはほかに誰もおらず、暑さのせいで道行く人たちもスローペースだ。
セミの声。
八百屋の店先に目をやると、店主はゆっくりとページをめくった。額には一筋の汗。
なぜだかわからないが、文庫本との正しいつきあい方を見た気がした。
<夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。>(伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫 平成17年 p.274。原著は昭和40年刊行とのこと)
時間がほとんど停止してしまうような人生の夏の時期というのがいつなのかは知らないし知るのも恐ろしい気がするが、ぐんぐん力を増す日光に照らされて思うのはいつか見た竹富島。
まっすぐな白い道、空の青、ゆっくりと、ゆっくりと行く水牛と老人。無音。