利他と利己ー「生まれながらに人を憎まず」オバマ氏Twitterツイートに思う。

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<「生まれた時から肌の色や出自や宗教を理由に他人を憎む人などいない。憎しみは学ぶものだ。そして、もし憎しみを学べるのなら、愛することも教えられるだろう。なぜなら人間にとって、憎しみよりも愛の方がずっと自然なのだから」>

8月12日にオバマ前大統領がツイッターに投稿したそんな文章が、世界中で共感を呼んでいるという(CNN.co.jp 8月16日記事)。

 

人間が生まれながらに持っている性質が善か悪か、人間というものは利他的な存在なのか利己的な存在なのかは古来より論争の的であった。

聖書は「汝の敵を愛せ」と教える。

古代ギリシャの哲人は<(略)人間も親切をするように生まれついているのであるから、なにか親切なことをしたときや、その他公益のために人と協力した場合には、彼の創られた目的を果たしたのであり、自己の本分を全うしたのである。>(マルクス・アウレーリウス『自省録』岩波文庫 kindle版 2420/6243)と言う。

孟子は、人間にはもともと「人に忍びざるの心」=人の不幸を見逃せない心が備わっていて、その証拠に小さな子どもが井戸に落ちようとしているのを見たら誰だって心が痛むではないかと説く(吉田松陰『講孟劄記(上)』講談社学術文庫 昭和54年 p141-142)。

 

人間のもともとの性質を考える思考実験として文学作品を挙げることもできる。

まだ社会慣れしていない子どもたちを未開の地・無人島に放り出したらどうなるかを想定して、互いに協力して理性的に行動するはずだと説いたのがジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』(原題は『二年間の休暇』)だ。それに対し、いやいやそうではない、良識や規則のないまま少年たちをほうっておいたら野性や獣性が暴走して相当ひどいことになると書いたのがウィリアム・ゴールディング『蠅の王』だ。

こうした性善説性悪説の二項対立に異を唱える立場もある。

とある作家はエッセイの中で、自分は性善説性悪説も取らない。自分が採用するのは「性悪(しょうわる)説」だ、と述べた(と思うが原典が見つからない。たぶん遠藤周作氏のエッセイだったように思うが、ご存じのかたお教えください)。
「性悪(しょうわる)説」というのは、人間は生まれながらに性悪(しょうわる)で、人に意地悪したり妬んだりひがんだりするが、悪魔というほどは悪くなく、環境によってよくも悪くもなる、という考え方である。
環境によって人は良くも悪くもなるという考え方は古代中国にもあり、礼儀作法で人間の行動を良くしようというのが礼家、法律によって人間を縛ってやろうというのが法家の立場であろう。

 

環境によって人間は天使にも悪魔にもなる、ただ基本的には人間というのは「性悪(しょうわる)」なものだという「性悪(しょうわる)説」は大変現実的に思われる。
置かれた環境によって人はどこまでも暴走し、信じられないほど残酷にもなり得る、というのはスタンフォード監獄実験やミルグラム実験が教えてくれる。環境が人を極限まで残酷にし得る例として、近年の事例ではアブグレイブ刑務所での捕虜虐待事件を挙げることもできる。

環境が人を狂わせるのか、あるいはもともとの獣性を解き放つのかはわからないが、変な環境には近づかないのが吉である。

人間のもともとの性質が善いものか悪いものか、なんの制約もない状態で人間という生き物は利他的に振る舞うのか利己的に振る舞うのか、ということについて、自然科学的アプローチではやや楽観的な立場が多い。
動物学者フランス・ドゥ・ヴァールは、ボノボチンパンジーなど霊長類の観察を通じて、人間性への洞察を深めた。

ドゥ・ヴァールによると、ボノボよりチンパンジーのほうがより攻撃的であり、ボノボは平和を愛し、互いに慈しみあう行動がよくみられる動物であるという(『道徳性の起原』紀伊国屋書店 2014年 p.85-86など)。幸いなことに、我々人間はボノボのほうにより近いそうだ。

 

ほかの動物でも利他的な行動は広くみられる。

上掲のドゥ・ヴァール『道徳性の起原』では、立てなくなった象エレノアを助けようとするほかの象グレイスの例が描かれている(p.41)。立てなくなったエレノアが絶命したとき、エレノアは涙を流し悲しんだという。

ネズミの一種、ラットですら利他的行動を示す。

関西大学のグループが2015年にAnimal Cognition誌に寄稿した論文"Rats demonstrate helping behavior toward a soaked conspecific”によれば、ラットは水に浸かった仲間を助けるためにドアを開けるという行動をすぐに学び、興味深いことにエサを得るためのドアを開ける前に仲間を助けることすらするという。

ぼくは自然科学に親しんだ者の一人として、性善説に従い、生涯にわたって利他的な行動をとり続けることをここに誓う。
マルクス・アウレーリウスも言うではないか、<善い人間のあり方如何について論じるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ>(『自省録』kindle版 2567/6243)。

 

しかし困ったことに利他と利己について、最近また別の研究が出てきた。
科学雑誌『Nature Human Behaviour』に出たletter”Prosocial apathy for helping others when effort is required”によると、人間は、自分が損する場合には他者に益を与えるような利利他的行動はあんまりとりたがらないイキモノだという。

http://www.nature.com/articles/s41562-017-0131#author-information

 

この研究の、「人間は自分が損して他者に利益を与える行動をとりたがらない」という結論は、先ほど生涯にわたって利他的行動をとり続けると誓ったばかりのぼくには到底受け入れがたい。人間というものは、自分が損しても他者に利益を与える生き物のはずなのだ。

もっとも、この研究論文、有料なので本文は読んでいない。なにしろ本文を読むためには20ドルかかる。自分が20ドル損してNature誌に利益を与えるなんて、とてもじゃないが耐えがたいことではないだろうか。
(facebook 2017年7月4日を大幅加筆)

 

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