歌わぬ詩人。

一人の男がいた。
彼は世界を誰よりも美しく見て、誰よりも鮮やかに描写し、巧みに言葉を組み合わせた。彼は詩人だったのだ。
彼は原稿用紙にかつてないほど素晴らしい詩を描き、そしてその原稿用紙を机の引き出しに大事にしまった。誰にも見せることなく。
かつて誰も見たこともないような斬新な彼の詩は結局、誰も見たこともないまま眠り続けた。永遠に。
さて、彼は、果たして「詩人」だったのだろうか?

 

おそらく多くの人は言うだろう。彼の詩が誰かに読まれたかどうかは関係ない。彼が詩を書いた以上、彼は「詩人」だったのだ、と。

 

では次に、こんなことを考える。
「詩人」の彼は、原稿を書き上げた途端、絶望した。彼が望んでいた出来ではなかったからだ。
彼は絶望のあまり、書き上げた原稿をすべて燃やしてしまった。残ったのは灰のみ。
彼は無力感に打ちひしがれ、書斎を後にする。彼がペンを握ることは、二度となかった。
さて彼は、「詩人」だったのだろうか。

 

いまや原稿は全て灰になった。彼の詩は、もはやこの世には無い。
それでもやはりひとときは彼の詩は地上に存在した。
だからやっぱり彼は、「詩人」だったのだ。

 

さらに話を進める。
彼は天性の詩人だった。だが同時に、彼は文字の読み書きが出来ず、しかも極度の人見知りで、誰にも自分の詩を聞かせることができなかった。
しかし彼の心の中は常に詩で満ちあふれていた。いつでも彼は自分の詩を口ずさむことができたし、それで彼は幸せだった。
文盲で極度の人見知りな天性の詩人は、自らの詩にあふれた生涯をいつの日か閉じた。誰にもその詩を告げることなく。
さて彼は、「詩人」だったのだろうか。

 

ブルーバックスで読んだ話。
皆さま、良い週末を。

 

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