赤い車と青い鳥

「今日は赤」と心に決めて家を出る。
駅までのいつもの道をいつもどおりに歩いていく。
ルートはいつもと変わらないのに、今日は何かが違う。
赤い車、赤い看板に郵便ポスト。コカコーラの自販機に電車の赤いライン。
次から次へと向こうから情報が飛び込んでくる。
何もかもが新鮮で、驚きと喜びに満ち溢れている。
やがて職場について、自分の机に目をやると一本のボールペンがある。
何げなく手にとって線を引く。
赤い線が生み出されて思わず感嘆する。
ボールペンの赤って、こんなに美しいのか、と。
あ、正気です。

 

加藤昌治氏の著書、『考具』(CCCメディアハウス 2003年)に出てくる「カラーバス」という手法を実践してみた(同書p.44-54)。
「カラーバス」はcolor bathとつづり、色を浴びるという感覚だという。
漫然といつもの日常を受け入れて流すのではなく、「赤いものを見つける」というただ一点に集中することで、ありきたりの日常が発見の宝庫になる。
「赤いものを見つける」と決めるだけで、心が動き出すのだ。

メーテルリンクの童話『青い鳥』では、主人公のチルチルとミチルは魔法使いに頼まれて青い鳥を探しに行く。
思い出の国や夜の御殿、森や幸福の楽園などを旅して青い鳥を探す。
旅の果てにたどり着いた我が家でとうとう見つけた青い鳥は自分のハトだった。

〈あれっ!この鳥、青いよ!これ、ぼくのハトだ!だけど、ぼくが家を出たときより、ずっと青くなっている!これが、ぼくたちのさがしていた青い鳥なんだ!あんなに遠くまでさがしにいったのに、ここにいたんだ!ああ、すばらしいなあ!〉(メーテルリンク『青い鳥』岩波少年文庫kindle版6300/6910)

たくさんの旅路を経て自分の家で青い鳥を発見したチルチルが「あんなに遠くまでさがしにいったのに、ここにいたんだ!」のあとに言ったのは、「なーんだ、さがしに行かなきゃ良かった」ではなく、「ああ、すばらしいなあ!」なのだ。
『青い鳥』は、幸せは自分の足元にあるから地道に生きなさい、なんてケチくさい道徳話ではない。
自分なりの青い鳥を探し求めて、みっともなくあがいて迷って傷つきさまよいまくる者たちへの讃歌なのである。

赤いものを見つけると決めた者だけにしか赤いものは飛び込んでこない。
青い鳥を探しに出た者にしか青い鳥は見つからない。

 

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