もしハーバード・ビジネススクール教授が吉本興業の騒動を見たら。

吉本興業騒動のことを、クリステンセンならこう言うだろう。
「『破壊的イノベーション』のプレリュードだ」、と。

 

『破壊的イノベーション』はクレイトン・クリステンセンが提唱した考え方で、ジョブズインテルのアンドルー・グローヴに支持され(ウォーレン・バーガー『Q思考』ダイヤモンド社 kindle版2788/4563)、シリコンヴァレーのベンチャー界隈にも信奉者が少なくない(同書2821/4563)。
クリステンセンは、先進国の名門ハイテク企業が、香港や台湾などの新興企業に敗れることがあるのはなぜかと考えた。
先進国の名門企業は、たくさん技術者も抱えているし、経営者だって大学院出でMBAホルダーだったりして優秀な人材にあふれている。クリステンセンが同アイディアを提唱した90年代には香港や台湾のメーカーはまだまだ発展途上で、人材的には残念ながら欧米名門企業には劣ると思われていた。
だが、市場の席巻の勢いは、新興企業のほうがすごい。
これはなぜか、というのがクリステンセンの疑問だった。

 

ある製品の需要と供給を考える。はじめのうちは技術的な制約もあって、先行名門企業からローエンドで低価格な製品が供給される。
その製品が売れると、次第に顧客の要求があがる。多少値段が上がってもいいからもっと性能の良いものを、というニーズが生まれる。先行名門企業としては、今ある顧客のニーズに応えるべく、ミドルエンドで中価格の製品を開発する。顧客を裏切るわけにはいかないし、利益率もいいからだ。

 

そうこうするうちに、顧客の要求水準もさらに上がる。
もっと高性能のものを、多少値段が上がってもいいから。
名門企業はハイエンド、高価格の製品にシフトしていく。
旧来からの顧客の多くと名門企業との蜜月は続く。
だがしかし、その時にあるニーズが置き去りにされる。
そこそこの性能でいいから、安く売ってくれよ、というニーズだ。
そこをすかさずついたのが、アジアの新興企業であった、というのが『破壊的イノベーション』の話の一部だ(クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ翔泳社 2001年 p.41-48。経営の話ではないが、濾胞性リンパ腫に侵されたクリステンセンが教え子たちに人生について語りかける『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』もおすすめです)。

 

90年代には性能と価格が『破壊的イノベーション』の背景の主要ファクターだったが、2010年代日本ではもう一つファクターが現れた。「コンプライアンス」である。

 

ニュースを見れば連日、ベンチャー企業による高額の資金調達の話が出てくる。優秀なベンチャー経営者が多いこともあるが、敏腕経営者Iさんが言うには、あれは大企業では要求される「コンプライアンス」が高くなりすぎて、社内事業ではリスキーでチャレンジングなことが出来なくなったという事情もあるという。
リスキーな社内新規事業に10億円賭けるより、期待できるベンチャー企業に10億投資するほうが株主には受ける、というわけであろう。

 

吉本興業はすでに大企業である。
ベンチャー的な零細企業であるうちは、「うちの会社、ピンハネがきついんですわー」とか「あんまり給料安いんで、小遣い稼ぎに素人さんの飲み会に行ったらヤクザでしたわー」とか言っていても笑いのネタになるが、大企業になるとコンプライアンスで叩かれる。
「合宿で死んでも責任とりません」と言っても、ベンチャー的存在ならネタになるが、大企業だと笑えない(今思えば、「浅草橋ヤング洋品店」や「電波少年」のむちゃくちゃな笑いは、PTAにコンプライアンスを求められた大企業「ドリフターズ」に対するベンチャー的でゲリラ的な戦い方だったのだなあ)。

 

これからますます「コンプライアンス」で吉本興業は動きが制限される。
雨後のタケノコのようにベンチャー的お笑い事務所が出てきて(中には吉本興業からスピンアウトする人たちもいるだろう)、『破壊的イノベーション』を起こすだろう。
吉本興業としては、新喜劇的なベタな部分はコアに残しつつ、そうした新興お笑い企業に投資する、いわばお笑い投資会社的な立ち位置になっていくのだろうか。よう知らんけど。

 

蛇足ですが、「れいわ新撰組」と「NHKから国民を守る会」の戦い方も、ある種の『破壊的イノベーション』として位置づけることができるだろう。既成政党からすれば、あんなんフツーやらないっしょ的な。いいか悪いかは知らないけれども。

 

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