「カタ」と自由意志。

2023年8月6日放送の『桂文珍の演芸図鑑』で狂言師の野村萬斎氏が面白いことを言っていた。うろ覚えなので間違えていたら直します。

 

「以前から全国の学校で教室をやっております。

きっかけですか?

…ひところ、学校で『キレる』子どもというのが話題になりましたでしょう。

私なりに考えましてね、『キレる』子どもたちというのは『カタ』を知らないから『キレる』のではないか」

 

明言されたのはそれくらいで、インタビューの話題は次に移ってしまったが、野村萬斎氏の考えというのはこうではないだろうか。以下はぼくの推測だ。

 

「キレる」というのは、その場の状況に即さない突発的、非連続的な怒りの感情の発露である。怒りの感情の表現方法が激しく、非典型的であるため周囲は困惑し、周囲と本人も傷ついてしまう。

怒り、あるいは喜怒哀楽には、歴史的に周囲に理解されやすい、共感しやすい表現がある。それを究極まで極めたものが「カタ」である。

古来より受け継がれ磨き上げられた「カタ」を学ぶことで、「キレる」子どもたちも共感されやすい喜怒哀楽の表現方法を知り、「キレる」ことを減らせるのではないか。

 

この話をマクラに、「カタ」と「自由意志」、それを踏まえた「世渡り」について考えを巡らせてみたい。

 

漫才作家で吉本興業NSC講師の本多正識氏の『1秒で答えをつくる力』(ダイヤモンド社 2022年)に面白い話が出てくる。こんな一節だ。

〈ダウンタウンが大人気になった頃のNSC生はネタ見せをするコンビの多くが「ダウンタウンもどき」でした。ボケは真顔でシュールに、ツッコミは勢いのある関西弁というのがひとつの形でした。ほとんどの生徒が同じことをしていたため、まったくダメなように思えました。 しかし、実際は私の予想に反して、ダウンタウンもどきの生徒の成長が非常に早いことに気がつきました。〉(前掲書kindle版49/301)

 

同書によれば、面白いことに、「ダウンタウンもどき」の生徒のほうが成長が早いという。

このことなどから、前掲書著者の本多氏はオリジナリティを生み出すには徹底的な「真似」が重要ではないかと指摘している。

 

同氏によれば、真似するときにはまずはお手本を全部真似することが大事だという。

星野リゾートの星野佳路氏は数多くの経営学の教科書を読み込み実践しているが、重要なのは〈理論をつまみ食いしないで、100%教科書通りにやってみる〉ことだという(中沢康彦『星野リゾートの教科書』日経BP社 p.23)。

 

普通はこれが、なかなかできない。

反省を込めて書くが、いろいろ本を読んで実際にやってみる、しかも100%本の通りにやってみるというのはなかなかできない。

ぼくも含めた多くの読者は、「良いことを書いてるな」と思いつつ、読んだら読みっぱなしにしてしまう。 お手本や教科書などなどのやってる通り書いてある通り、100%実践できるのは本当にごくわずかで、しかもそれを身につけるとなるとさらに少数の人しかいないだろう。

そう考えると冒頭のNSCでひところたくさんいたという「ダウンタウンもどき」の生徒は、ダウンタウンの「カタ」を身につけ「もどき」まで持っていけるだけでも相当なものなのだろう。

真似や「カタ」というとオリジナリティや「自由意志」と反すると思われるが決してそうではない。

真似や「カタ」はオリジナリティを生み出す母であり、「自由意志」をのびのびと働かせる土台なのだ。 全ての芸術は模倣から始まる、という。だから恐れず、〈いらっしゃいモホー〉(清水ミチコ氏のネタ)。

 

******

〈理論の出番は問題が起きた時だけだよ。理論は道具なんだ。

しっかり理論を学んだ人なら理論について考えなくても演奏ができる。 ぼくらが理論について学ぶのは正しい音を出すためだけど、人の注意を惹くかっこいい音はそこから外れた音だ。理論から外れた音を出すために理論を充分に学ぶ必要がある。〉

ベーシスト、ヴィクター・ウッテン氏のレクチャーがレクチャーする。先だってTwitterで出回った動画だ。

 

「カタ」と「自由意志」についてしばし考えていた。

そんな時にこのヴィクター・ウッテン氏の話が流れてきて、ストンと腑に落ちた。

 

「カタ」にはめるというように、「カタ」という言葉は「自由意志」と相反するもののように捉えられがちだ。

しかし音楽理論を学ぶのは音楽理論から外れた“カッコいい音”を出すためであるように、「カタ」を十分に学んだ者だけが「カタ」から離れて自由に振る舞うことができる。

 

「カタ」が威力を発揮するのは、弱っている時だ。それと弱い時。

弱っている時や弱い時には、「カタ」を知っているとそれだけで“しのげる”。

成功率が高く失敗率が低いもののエッセンスを凝縮したものが「カタ」だから、「カタ」を駆使して弱っている時や弱い時をしのぐのだ。

 

我らが愛するTwitterもまた、「カタ」の宝庫である。 誰かに何かを伝えるというのはもともととても大変な技術だ。

そもそも人間は基本的に他人の話を聞いていないものだ。 話を聞いてもらって何かを伝えるためには本当はすごく技術が要ることなのだが、それに気づいている人は少ない。

そこで有効なのが「140文字以内」という「カタ」だ。140文字以内なら、ある程度人間は読んでくれる。

あるいは「ワイは」みたいなネットスラングも「カタ」である(『2ちゃん語』というか、『なんJ語』でいいんすかね?)。

マジもんの対立や炎上をまねかずユーモラスにチクリとキツいことを言いたい時に、「ワイは◯◯なんやで」みたいな「カタ」に乗せるとうまく行きやすい。

 

「カタ」ってのは成功率が高くて失敗率が低いコツが多めに入ってる。そん代わり自由意志が少なめ。

で、それに大盛り2ちゃん語。これ最強。

しかし「カタ」ばかりやると次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはおすすめできない。

(オチを考えるのがめんどくさくなった時に使う「カタ」)