”幸せ活動”とは何か~幸せは、いつだってリバーサイドにある。

「ブラザー、明日はオレ“幸せ活動”だから。また明後日な」
“幸せ活動”?
20歳の僕はきょとんとした。
「“幸せ活動”はさ、休みの日に彼女と会ったり友達と遊んだりすることさ。じゃあまたな、ブラザー」
 
銀座のビヤホールでひと夏ホール係として働いていた僕のことをブラザーと呼んだのは、バイト先の先輩だった。
ビヤホールでは(というより多くのレストランでは)ウェイターとかウェイトレスとかのホール係と厨房スタッフは完全に別の種族だ。
厨房スタッフは腕一本で生きている職人の集まりで、その中でも“ストーブ前”とか“サラダ場”とか担当分野が決まっている。
僕のことをブラザーと呼んでいた茶髪にピアスのイケメン先輩は、たしか“サラダ場”の人だったように思う。
 
ビヤホールのバイトは新学期が始まる9月には終わってしまったけど、バイトが終わって新橋駅を23時50分に出る最終の快速電車に乗るために夜の銀座を急いだことや、ビヤホールの隣にあった吉本興業の劇場の前で出待ちしているファンの人たちのこと、「同級生に一人だけ有名人がいてさ、『ナマケモノが見てた』ってマンガ書いてるヤツなんだけど、知ってる?」と話してくれた副支配人などは忘れずに覚えている。“幸せ活動”のことも。
 
“幸せ活動”という言葉は、たぶんあれから30年近くずっと頭の片隅にあった。幸せがあっちから来るのを待っていてはダメで、自分から積極的に“幸せ”だと思えることを意識的にやっていく“活動”が必要なんだろうな。
人生後半戦、あとになって“なんでもないようなことが 幸せだったと思う”なんていう虎舞竜アプローチではあかんということやね。
 
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幼い子どもと日曜日を過ごすとこんなことがある。
「今日なにしたい?」と朝きいてみる。
「んー…」と言ってゴロゴロうだうだして絵本かなにかをつまらなそうにパラパラしている。
「どこか行こうよ」。昼に声をかけてもダラダラしている。昼過ぎになっても、おやつの時間になっても動かない。
もうすぐ夕方だなあなんて思う午後4時過ぎくらいになって子どもが突如として言い出す。
「あのさあ…どっか行きたい。動物園とか」
 
何を言ってるんだ、動物園に行くのだって移動時間もかかるし、もうすぐ閉園時間だ。それに一日だってもうすぐ終わるんだぞ。そういうことは早く言ってよ。
若干腹を立ててそう告げると子どもは半泣きでいう。
「楽しいことしたかったのに」
 
ここから主語が大きくなるが、我々もまた、日曜日の子どもなのではないだろうか。
楽しいこと嬉しいことしたい、幸せになりたいなどと漠然と思いながら、日々の雑事に追われゴロゴロうだうだダラダラと時を過ごしてしまう。
そして時間切れ間際になって半泣きでこんなふうに地団駄を踏む。
「幸せなことしたかったのに」。
もうすぐ閉園時間だ。それに一生だってもうすぐ終わるんだぞ。そういうことは早く言ってよ。
 
“幸せ活動”を意識して積極的に行っていくべきではないかとぼくが最近強く思うゆえんである。

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「カードのマイルが貯まったから、この間札幌に行ってきた。行ってみたいバーがあってさ」
友人が言った。
 
ここのところ“幸せ活動”について考えている。
幸せが向こうからやってくるのを漫然と待つのではなく、自ら積極的に“幸せ”になれるよう選択し場合によっては打って出る活動のことだ。
なお、自らの意志で主体的・積極的に“何もしないでダラダラする”ことを選択した場合にはそれも“幸せ活動”と定義する。日曜日お昼に日当たりのよい場所で愛犬とゴロゴロするというのは最上級の“幸せ活動”だと思います、T先輩。うらやましい。
 
“幸せ活動”を阻むものは何か。
“幸せ活動”の阻害要因の一つは、“めんどくさいと思う気持ち”だと思う。
糸井重里氏の名言がある。たしかこんなものだ。
「人に会うのは風呂に入るようなものだ。
会うまで風呂に入るまではめんどくさくて気が進まないが、会えば風呂に入れば後悔することはほとんどない」(『ほぼ日手帳』で見た気がする。原典をご存知のかた教えてください)
 
“幸せ活動”も似たところがある。
“めんどくさいと思う気持ち”をえいやと乗り越えてしまえば、そこには“幸せ”が待っている。何しろ自ら積極的に“幸せ”を掴みにいく活動なのだ。
ぼくの毎朝の“幸せ活動”はドリップコーヒーを入れてケータイマグで出勤途中で飲むことなのだが、ちょっとだけめんどくさいけどちょっとだけ幸せだ。
 
種々の“幸せ活動”のためにはこの“めんどくささ”をどうクリアするかが大事みたいなのだけれど、冒頭の会話を経てなるほどカードのマイレージを“めんどくささ”をクリアする手として使うことが出来るのかと発見した。
ふらっと札幌に行って行きたいバーで飲むというのは相当に幸せだと思うけど、社会人としてはなかなかハードルが高い。
お金のことを除いてもスケジュール調整がめんどくさいし、「ちょっと札幌行ってくる」と言ったときに周囲から「何しに行くの」と聞かれるのがめんどくさい。
そこらへんの“めんどくささ”を一気にクリアにするのが「マイルが貯まったから」の一言だ。
 
カードのマイルは「“幸せ活動”強制発動装置」であるのだ。また一つ世界の真実を発見した。友人から学ぶことは多いなあ。
 
それにしても思いたったときにふらっと行きたいところに行く行けるというのは“幸せ活動”の一つであるなあ。
井上陽水は行き先も決めずにパスポート持って空港にふらっと行って、「どこに行こうかなあ…んー、じゃあインド」とその場でチケット買ってインドに行きそして名曲『リバーサイドホテル』を産んだという。幸せは、いつだってリバーサイドにあるのだ。あ、特に意味のない一文なので忘れてください。