【備忘録】『火垂るの墓』雑感。

ここのところTwitterで『火垂るの墓』が話題だ。いわゆる自己責任論的な視点での批判的ツイートが少なくない。しかしもちろん、『火垂るの墓』はそんな単純明快な話ではない。

 

『火垂るの墓』の原作読むと、親を失い家を失い未来を失った子ども達が「浮浪児」として駅にたむろして、弱っていくと「次に死ぬのはあいつだろ」とか駅員に言われる時代の話だ。独自の文体と相まって、どういう気持ちで読んだらいいのかわからない話である。

 

Twitterでは『火垂るの墓』に限らず、どうもものごとを単純に扱いすぎる気がする。悲しい話や腹の立つ話、感動する話…多面的な話はスルーされ、単純明快な話が好まれる。みんな「1分で泣ける話」とか「スカッとジャパン」とか好きなんだろう。

 

「この話はひどい話だから怒っていいですよ」とか「この話は悲しい話だから泣いてください」とかシンプルなほうが流行るのだろう。インスタント感情消費。 オーウェル『1984』の「2分間憎悪」をビッグブラザー抜きで自分達で実現してしまった現代。

 

『火垂るの墓』の話に戻る。

今東光氏がこんなことを書いている。

〈野坂昭如が十幾つという時、養子にもらわれていった。その時に、三つくらいの女のコをもらったんだ。その家で、将来、野坂のカカアにでもするつもりだったんだ。それが空襲で両親がやられた。目の前でおっかさんが焼け死ぬのをみながら、その妹をかついで野坂は逃げた。それから六甲の麓の芦屋のあたりの断崖絶壁に掘ってある穴で暮らした。闇市に行っちゃあ、食糧を盗んできて食わしてたんだ。ところが、子供はミルクでも生のまま飲ましちゃあいけないのに、そんなことわからんから、何でもかんでも食わせたから、胃腸をこわして死んじゃった。それをいまでも野坂は、「おれが殺した、おれが殺した」という自責の念を持っているんだ。〉

(今東光『毒舌 身の上相談』集英社文庫 1994年 p62-63。元となった作品は一九七七年刊行とのこと)

 

作品と作者の人格や経験は別物として扱うべきだし作品をどう解釈しようと読者や視聴者の勝手だ。

だが、原作者本人ですら一生葛藤し煩悶し反芻し続けたであろう体験に基づく(であろう)話を「はいはい、この話はこういうことね。この話、理解完了」みたいに消費してしまうのは勿体ないし傲慢だと思う。

 

ダイヤモンドが光り輝くのは緻密な計算のもとにカットされた多面体だからだ。 人間も作品もおそらく同じで、様々な面を持つ多面体なのだ。

さまざまな面がうまい角度ではまった時、人間も作品も光輝く。

『火垂るの墓』もまた、そんな多面体なのだろう。

 

蛇足。

影山民夫氏のエッセイに、彼が直木賞獲った時、テレビ界出身作家の先輩である野坂昭如氏に「あなたホラ吹きって言われてるけど、小説はホラを書くものです。どんどんホラを書きなさい。現に、ボクの妹は生きてます」と誉められたというのがある【要出典】

だがもちろん事実は異なるわけで過酷な体験を野坂昭如氏なりの(歪んだ)ダンディズムや諧謔でなんとか処理しようとしていた時期だったのかもしれない【要検証】

 

永遠に消化しきれない葛藤や煩悶する経験は、普通の人は心の箱に入れてフタをしてしまっておいて見ないようにしないと生きられない。しかし表現者の中にはそうした経験をハコから無理やり引っ張り出して何度も何度も反芻して表現しないと気が済まない創作スタイルの人たちがいる。

まったくの推測だけれど、野坂氏は経験を何度も反芻しながら、嘔吐しながら眠れなくなりながら『火垂るの墓』を書き上げたのではないかと思う。

 

表現者の業(ごう)を感じる。