個と組織、自由と束縛、破壊と創造、闘争と逃走ー『半沢直樹』最終回に思う。

『半沢直樹』が最終回となってしまった。非常に堪能したので少々『半沢ロス』気味である。
 
はじめはいろいろツッコミを入れてたんですけど、途中から細かいことはどうでもよくなりました(笑)。ただひたすら大和田と黒崎を見たい、という欲求が…。もちろん半沢あっての大和田と黒崎の面白さなので、そこもまた物語づくりの妙でしょうか。
物語の面白さってのはやっぱりキャラクターなんですかねー。細部の正確さは物語のスパイスではあるけれど、根幹はキャラなのでしょうかねえ。小池一夫氏の劇画村塾理論。興味深い。
 
そういえば、人格形成で多大なる影響を受けた本『サルでも描けるまんが教室』で、作品づくりで大事なのは世界観という話があった。
『半沢直樹』は土下座や出向=疑似的死という世界観を視聴者に受け入れさせ、ビジネスバトル劇画として描ききった。
また、モンキーパンチが『トムとジェリー』をモチーフにしてルパンと銭形を描いたように半沢と大和田もまた『トムとジェリー』的だった。
 
あえて再放送しないことで視聴者の飢餓感をあおり、リアルタイム視聴を促し令和の世でも高視聴率を叩き出した。ネット時代には国民的ヒットは生まれないという通説を蹴散らし、クリエイターと役者とスタッフの力で視聴者を魅了した。
振り返ると、映画『君の名は』とか『パプリカ』をはじめとする米津玄師作品とか『半沢直樹』とか、クリエイターの力によって今の時代でも国民的ヒットというのは生まれうるのだなあ。
 
最終回を反芻しながら、いろいろと思いを馳せてみた。
 
Fight or Flight. 闘争か、逃走か。
何か障壁に当たったときに人が取りうるのは究極的にはこの二つだという。
ドラマ『半沢直樹』を見ていて、そんなことを思った。与えられたドラマにそのままハマるのでは芸がない。大人たるもの、どっぷりハマるのではなく、距離をおいて批判的に考察して見ることも必要なのだ。
 
さて、人気ドラマとはいえ、ドラマはドラマだ。
実際にはあんなふうに真っ向から闘争闘争また闘争みたいな行き方(「生き方」ではなく「行き方」表記を使いたい)は出来ない。だからこそ、ぼくも含めて多くの視聴者が『半沢直樹』に心惹かれる。
 
はじめのうちは「銀行という仲間うちで『倍返し』とか内ゲバやるくらいなら、転職とか独立したほうが自分のやりたいことしやすいんじゃないかなあ」なんて思って見ていた(し今もそう思ったりする。組織内にあんな人がいたらあだ名は「デストロイ半沢」だろう)。
まあ自分では出来ないからこそ、そこにシビれる、憧れる。
 
問題のある組織の中にいる時に、闘争して中から変える方法がある。スピーディに変えようとするなら組織内でなんらかのパワーを持たねばならぬから、やはり闘争が必要になる。緩徐にじんわりと変えていくには時を味方につけ、影響力や感化力といったものを行使しなければならない。
 
いずれにせよ、組織内にとどまって変えていくには、問題の除去や生き残りといったところにエネルギーを取られる。問題の除去後に新たな体制を作るという創造のエネルギーも必要で、むしろ本来そちらがより重要だったりする。『半沢直樹』で気にかかるのが、破壊のあとどうするかであるなあ。
 
組織内に問題があるときにもう一つの選択肢はflight、組織を離れることだ。サラリーマンなら転職や独立、起業とかだ。逃走といえば聞こえは悪いが、組織内の問題の除去=破壊にエネルギーを取られないぶん、創造にエネルギーを注ぐことが出来る。
しかしながらいいことばかりではなく、組織内にいるときには気にもかけなかった「生存」、「生き残り」ということにエネルギーを取られることになる。
組織というのは構成員の生存を保障するが、組織を離れた者は、自力で生存しなければならない。平たく言えば、自分で仕事取ってこなけりゃあメシが食えねぇ。
 
個と組織、自由と束縛、破壊と創造、闘争と逃走。
『半沢直樹』の最終回を振り返りながらそんなことを考えた。
では我々は、さまざまな対立項の間でいかに生きればよいのか。
残念ながらショウは終わり幕は下がった。
ここから先は自分で答えを出さなければならない。だがそれは、い・ま・じゃ・な・い。
というわけで今日はここらへんで、おしまいdeath。明日もオネシャス。

 

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