牛のように超然と。

1916年8月24日に、夏目漱石はこう書いた。
〈牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。(略)
あせっては不可(いけ)ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可ません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然と押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
これから湯に入ります。〉(三好行雄編『漱石書簡集』岩波文庫1990年 p.311-312)
芥川龍之介らにあてた手紙だ。
 
「超然と押してゆく牛」と聞いて、沖縄の離島で見た光景が頭に浮かぶ。
真っ青な空。赤い大地。そのあいだをゆっくりとゆっくりと、しかし一歩いっぽ着実に大地を踏み締め水牛がゆく。傍には老人。小柄だがその体は長年の労働で引き締まっている。無音。そして風が吹いた。
伊江島だったか西表だったかは記憶が曖昧だが、そこには何かしら崇高なものがあった。
 
牛になる事はどうしても必要です、と漱石は書いた。
牛になりたいとも、牛になるべきだとも書かなかった。
そう、やはりわれわれは、どうしても牛になる必要があるのだろう。
牛になり、超然と押してゆけ。うんうんうなりながら。死ぬまで。超然と。
 
あとひと月もすれば新しい年が来る。2021年は牛の年だという。
牛になって、超然と押して参りましょう。

 

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