インプットも大事、アウトプットも大事。しかし最も大事なのは思索である、という話。

インプットは大事だ。
アウトプットも大事だ。
だがインプットとアウトプットの間にあるプロセシング、人間で言えば思索というものの大事さは、近年軽視されているように思う。
 
良質なインプットのためには、意識的に時間を取らなければならない。
良質なアウトプットのためにも、意識的に時間を取らなければならない。
そしてまた、良質な思索のためにも、意識的に時間を取らなければならない。
 
古来より「三上」、すなわち馬上・枕上・厠上というように、実は思索にはスキマ時間がよく似合う。
「さあ思索するぞ!」と意気込んでしまうと思索は硬直し萎縮する。
自由にのびのびと思索を遊ばせるためには、三上くらいの感じがよいのかもしれない。
あるいは三上くらいの状況でも思わず思索してしまうくらいの重要性のあるテーマでなければ、思索する価値がないということなのかもしれない。
 
上記の三上にならい、ぼくは毎朝の通勤電車の中の時間を思索にあてている。
朝の最も良い時間を思索に当てることのできるライフスタイルは、自分に合ったものだとひそかに気にいっている。
この時間に思索したことが、仕事の仕方や生き方に大きく影響を与えることもある。あまりに思索に夢中になり過ぎて、時を忘れることもある。
 
先日もまた、「アイリスオーヤマのアイルランド支社は、やはりアイリッシュオーヤマというのだろうか」と思索してるうちにふた駅ほど乗り過ごした。
No pain, no gain。何ごとにも、代償は必要なのだ。
 



石川 勇、村上 恒太、他4人