他者の仕事のプロセスに思いをはせるには、経験と訓練を要する。

「96歳の退院後の男性に、深夜にラーメンを提供した」という介護事業所の記事をマクラに、「人間は、他者の仕事の表面に表れる成果だけを見てプロセスは悲しいほど見ない」という習性について書いた。

 

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人間に与えられている時間も脳ミソの情報処理能力も有限なので、これは無理もない現象だ。森羅万象身の回りの全ての物事のプロセスに思いをはせていたら、時間がいくらあっても足りない。
だが、与えられた状況に流されるのをよしとせず、己の道を行こうとするならば時に人間の習性に逆らわなければならない。人の行く 裏に道あり 花の山。

 

この場合には、他者の仕事の表面上の成果だけでなく、プロセスにも思いをはせる、ということである。それだけで差がつく。
プロセスを言語でうまく解説した「how to」モノの本や番組や動画はいつの世も需要がある。
功成り名を遂げた人の、成功までのプロセスを書いた自伝や「私の履歴書」は人々の興味を引く。
作家・伊集院静氏は夜の街でよくおモテになるそうだが、モテの極意として「その女性にも、育てた親がいることを忘れずに接する」と語っていた(気がする)。表面上の華やかさだけでなく、育ってきたプロセスをも尊重するということだろう(まあ金払いもいいんでしょうが)。
表面に表れるものの裏にはプロセスがあり、そのプロセスに思い至ることが出来れば、周囲と大きな差がつく。

 

やや脱線した。
他者の仕事の表面上の成果の裏にプロセスがある、ということを意識するには経験と訓練がいる。
自分で何かやってみた人でなければ、成果の裏にプロセスがあることに気づけない。

自分で何かをやってみた人でも、相手の立場を思わなければ見落としを起こす。
〈世の重大事から、ごくささいなことにいたるまで、たといどんなことでも、他人の行動に口出ししようと思うなら、試しに自分をその場所において、みずからをふり返ってみるべきである。まったく性格の違う職業だったら、その仕事の難易や意味の軽重をよくよくおしはかってみるべきである。たとい種類の違う仕事でも、その仕事の内容にまで立ち入って、仕事の中身を基準にし、自分と他者の立場を比較すれば、そこに大きな誤りは生じないはずなのである。〉と福沢諭吉も言っている(『学問のすヽめ』第十六編 檜谷昭彦・現代語訳 三笠書房 p.196。友人Yにご教示いただいた。感謝)。

 

三十代半ばに、毎朝一生懸命掃除をした時期があった。仲間と毎朝必死で掃除をしていたその時期には、どこかの庭園を訪れても表面の美しさだけでなく、その美しさを維持管理するための労力をありありと想像することが出来た。自分の経験から、敷衍して考えることができたのである。


経験とともに、知的訓練によっても他者の仕事のプロセスに思いをはせることが出来る。
若きMBAホルダーやコンサルの人と居酒屋などに行くと、少しでもイカフライが出てくるのが遅いと「この店のオペレーションのボトルネックと改善方法は」とすぐ議論を始める。あれこそまさに訓練によって他者の仕事のプロセスに思いをはせる典型例であろう。
そういう時に、今ごろ漁船でイカ獲ってるんじゃないのとかまぜっ返すと無視されるので気をつけたほうが良い。

 

このように、他者の仕事の表面上の成果の裏にプロセスがあり、それを意識するためには経験と訓練が必要である。
こうした雑考のプロセスは楽しかったが、この雑考の成果がどこにあるのかは人類最大のナゾだ。カイロ大学からの回答を待つばかりである。

 

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