【備忘録】京都に全力で上手する【大人の事情】

(「大人の事情」で全力で京都に上手をしたツイート群)

 

京都の魅力の一つはその懐の深さだ。

東京という街は奇人変人傾奇者に対し見て見ぬふりを決め込むか反対に骨の髄までしゃぶり尽くして最後は捨てるが、京都という街は奇人変人傾奇者を愛でるところがある。

鷲田清一氏は、元祖ヴィジュアル系バンド、ザ・タイガースを産んだのも京都だと指摘している。

 

〈熟した街にはかならずだれもが知る奇人がいる。京都なら、蓮華谷の三奇人だとか、吉田の三奇人だとか、下鴨の、そして古門前の三奇人だとか、いたるところに奇人伝説があって、数えても両手でも足りないほどだ。

奇人の条件は、効用とか意義といった「合理」とは無縁の行動をとるということ、損とわかっていることばかりしたり、意味のないことに全財産を注ぎ込んだり、なんの得にもならないことで身上をつぶしたり……というふうに、人生の習いから確実に外れているけれど、人生、確実に一本筋が通っているという御仁のことである。〉(鷲田清一『京都の平熱 哲学者の都市案内』p.59)

 

アダム・スミス『国富論』から数えてたかだか250年のほどの歴史しかない「経済的合理性」を小賢しいものとして鼻で笑い飛ばし、奇人変人傾奇者を愛でるのも古都の余裕というものだろう。

 

 

・京都の魅力の一つは大人の余裕だ 岡潔氏は小林秀雄氏との対談の冒頭にいきなりこう言った。

〈小林 今日は大文字の山焼きがある日だそうですね。ここの家からも見えると言ってました。

岡 私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。小林さん、山はやっぱり焼かないほうがいいですよ。〉

(小林秀雄、岡潔『人間の建設』新潮文庫 平成二十二年 p.9。底本は『小林秀雄全作品』新潮社版とのこと)

キャンセルカルチャー吹き荒れる昨今のネット文化でこんなことを言えば電凸の嵐で謝罪に追い込まれるのがオチだ。あるいはかつて大文字焼きを「犬」文字焼きにした学生がいたという【要検証】

 

大数学者が何を言おうが大学生がどんないたずらをしようが、「変わったお人どすな」とどこ吹く風で横綱相撲を続ける大人の余裕もまた、京都の魅力の一つである。

 

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京都の魅力の一つはその多面性、多層性、重層性だ 伝統の街であり文化の街であり産業の街であり学問の街であり革新の街。

幾重にも幾重にもたくさんの面が積み重なって訪れる者を魅了し続ける。

 

21世紀初めに作られた『京都市基本構想』にはこんな一節がある。

〈(略)京都市民は、1200年を超える歴史のなかで、自立性の高い市民文化を育み、磨き上げてきた。たとえば、みずからの生活をみずからの責任で律する自治の伝統を大切に守ってきた。地域社会のなかで、かど掃きに象徴されるような独特の生活習慣も身につけてきた。伝統と革新のまれにみる緊張状態のなかでまちを運営してきた。自然環境との調和を保った美しい里の風景をもつとともに、匠のわざと高い付加価値とをあわせもったものづくりの文化を養ってきた。人権の尊重や福祉への取組においても、先進的な試みを続けてきた。〉(京都市基本構想 第3節 京都市民の得意とするところ)

 

〈伝統と革新のまれにみる緊張関係〉の文字が光る。

 

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京都の魅力の一つは研ぎ澄まされた美意識である。

戦後長らく、京都市内の公立中学・高校には制服が無かったという(京都「府」内ではなく「市」内)。

鷲田清一氏によれば、これは生徒が拒んだのではなく、保護者や教育委員会が京都の中学生や高校生に制服を着せる必要性を認めなかったとのことだ。

(出典『京都の平熱 哲学者の都市案内』講談社学術文庫 2013年 p.150-151)
 
美意識を自己流で定義するとすれば、「自分にとって、あるいは他者に対し、何がokで何がNGかを追求すること」となる。
京都市内の中学生高校生は、お仕着せの制服を押し付けなくても、その日その場所その人に合う装いをするだろう、してもらわなければ困る。それくらいの美意識は持ち合わせているだろうという信頼と自負が、京都市内の公立中学・高校から長い間、制服というものを不在にしたのかもしれない。
そこらへんの事情は余所者にはわからないので、ぜひお詳しいかたのお話を伺ってみたいものである。
 
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京都の魅力の一つはその奥ゆかしさである。

「ゆかしい」という言葉はもともと、「ゆく(行く)」の形容詞形「ゆかし」で、「行きたい」という意味だという。「奥ゆかしい」は語源的には「奥まで行きたい、その先を見てみたい」という意味だったそうだ。

京都は、もともとの意味でも奥ゆかしい。

 

通りからは一部しか見えない町家が、奥へ奥へと続くように、京都は奥へ奥へと続く。 京都を訪れた者は、「まだ奥があるのか」と驚嘆し、「その先を見てみたい」と望む。

そうした意味で、京都は奥ゆかしい。

京都、というか日本を代表する坐忘斎氏(①)のお書きになったものにこんな一節がある。

 

〈J・P・ホーガンという、SF作家がいます。SFの中でもファンタジー系じゃなくて、ハードというか、物理学に精通したものを書く人。その人の小説に『内なる宇宙』という作品があります。このタイトルの邦訳が好きなんです。〉(『自分を生きてみる』中央公論新社 二〇〇八年 p.156)

 

坐忘斎氏、SFにお詳しいのか。

いつの日か月面で発見された真紅の宇宙服の話も伺ってみたいものだ。

『内なる宇宙』のその先を聞いてみたい。

「まだ奥があるのか。その先を知りたい、その先を見てみたい」と思わせる「奥ゆかしさ」が、京都にはある。

 

①どのようにお呼びしたらよいか大いに迷うが、門外漢が半可通のようなことはしたくないしもちろん呼び捨てももってのほかなので「氏」の敬称を用いました。

 

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京都の魅力の一つはその革新性である。 茶道の世界で立礼式(りゅうれいしき)が作られたのは明治維新直後、玄々斎宗匠によってだった(①)。

昔も今も正座が本来の姿だが、一方で外国からの客人に不慣れな正座を強いてつらい思いをさせてはいけないということだったという。

 

本来焼き菓子の八ツ橋が生で食べられるようになったのは最近のことであり、その生八ツ橋で餡を包むようになったのは昭和35年(1960年)(②)。表千家即中斎ゆかりとのことだ 革新は、異端とは違う。 本質を極めた者が、本質を極めたゆえに限界にぶち当たり、やむにやまれぬ思いで行うのが革新なのだ。

 

①千宗室『自分を生きてみる 一期一会の心得』中央公論新社 二〇〇八年 p.87-88 ②柏井壽『京都の定番』幻冬社新書 二〇一五年 p.115-116

 

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京都の魅力の一つはその先見性である。

任天堂や京セラなど京都には数多くの世界企業が存在するが、それには理由があった。 平安京遷都以来1000年以上に渡り日本の中心だった京都。

明治維新で東京に遷都が決まったときに危機感を覚え、「産業振興」政策をとったのが槇村正直府知事だった(①)。

 

会津藩士、山本覚馬が新生日本を見据え獄中で書き上げた国家プラン「管見(かんけん)」。

管見に描かれたビジョンに基づき槇村正直府知事や明石博高氏らが推進したのが京都の産業振興だった(①以降の参考文献 童門冬二『これだけの世界的な企業が「古都」に誕生した理由』歴史街道2017.11 p.116)。

 

明治維新での東京遷都で空洞化することなく、産業振興や教育振興(前掲記事によればこれも山本覚馬が関わっていたとのこと)によりさらなる繁栄を極めたのも、京都の人々の先見性による。

1000年の過去を見つめる人々は、1000年の未来もまた見通すのだろう。

 

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京都の魅力の一つは学問の香りである。

およそ学問を志す者で京都での学究生活を夢見ない者がおろうか。

京都には学問の「場所」があり「風土」がある。

日本広しといえども「学派」の名のつく街は京都だけだ。 東京学派も大阪学派も福岡学派もない。ほかの街には「門下」はあるが「学派」はない。

 

西田幾多郎のもとに多くの学者が集い自由闊達に学問の花を開かせたのが「京都学派」(①)、戦後、国際日本文化研究センターで学際的な知のフロンティアを拓いたのが「新京都学派」である(②)。

師の教えを上意下達で受け継ぐのが「門下」だとすると、談論風発侃侃諤諤蹇々囂々が「学派」だ。

 

もちろん学派にも後継者は必要だ。 しかし門下に無く学派にあるのは互いの健全な批判である。

門下は批判を排除し追放する。

学派は批判を歓迎し推奨する。

 

〈(略)「学派」が生成し、かつ発展するためには、単に「後継者」の出現だけでは十分ではない。それだけでは「学派」は、金魚の糞のような「祖述者」ないしエピゴーネンの系列にすぎなくなり、やがて生命を失う。「後継」であって後継にとどまらず、これを批判する者の出現がなければならない。しかしその場合「彼」は、「学派」の外からの、ではなく、いわば「内的」な「批判者」でなければならない。〉(①p.82)

 

「学派」の街京都は今日も、多くの研究者の心を惹きつける。

①竹田篤司『物語「京都学派」』中公文庫 2012年

②柴山哲也『新京都学派』平凡社新書 2014年

 

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京都の魅力の一つはシームレスなところである。 ボーダーレスではなくシームレス。

かつて亡くなられた早川一光先生にKBSのラジオ番組に呼んでいただいたことがある(本当)。

毎回リスナーが参加する番組で、スタジオでは早川先生と長年連れ添ったリスナーとが、シームレスに番組を作り上げていた。

 

ル・コルビジェ「輝ける都市」的なカッチリしたゾーニングでもない。

新宿のようなカオスな渾然一体でもない。

それぞれがそれぞれの本分を全うしながら、それぞれの領分を守りながらもシームレスに繋がっているそんなスタイルが、京都にはある。

 

京都に赴任していた人があるときこう言った。

「向こうで仕事してるとですね、若い男性社員とかが『すみません、今日は踊りの稽古なんで早く上がります』とか言って定時で帰るんですよね。 周りも『がんばってね』と当たり前なんです。

こういうのは東京では見ない。そういう雰囲気なんですね」

仕事と文化がシームレスにつながるライフスタイルだ。

 

京都では修行僧と舞妓がすれ違う。

今日庵の幽玄と『ヴァイオレットエヴァーガーデン』の美麗が地続きだ。

混ざり合うわけではない。ただ、そこにシーム、つなぎ目や断絶はない。

 

日本の在宅医療のパイオニアの一人である故・早川一光先生の理念はこうだった。 「人間、『畳の上で大養生・大往生』」

 

住まいと病室、暮らしと闘病、生きると死ぬをゾーニングせず、シームレスにつなげていく医の営みがそこにあった。

「タカハシくんワシな、80歳を超えて、白衣を捨てたんや。 80を超えて、白衣を捨てて、薬を捨てて、検査も捨てた。 ただひたすらに“聴く”。そんな医療をやってみようと思ったんや」

 

ぼく自身はまだまだ白衣も薬も検査も捨てる気はない。

だが遠く東の国から京都を眺めると、そこでは彼岸も此岸もシームレスに見える。

京都を訪れればふらりと早川先生が現れて 「医師の“師”は教師の“師”や 医者は大学が作るが、医師は町衆、民衆が育てる 町衆のための医療をやらな。な?」 と言ってくれる気がするのだ。

 

参考文献 早川一光『わらじ医者 よろず診療所日誌』かもがわ出版 2008年

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大人の事情↓ 炎上予防でがんばって書きました。

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