夢十一夜(R)

 こんな夢を見た。

眼の前には白いテェブルが広がっていて、

その上には何千という皿が載っている。

皿の上には古今東西の豪奢な料理がそれぞれ載っている。

テェブルは無限に伸びていて、その両端は闇へと消えている。

わたしは片端から料理を口に入れるのだが、空腹感はいっこうに消えようとはしない。

腹がくちくなるどころか、食べれば食べるほど、いっそう満ち足りぬ思いに捉われる。

いつから食べ始めたのか分からぬまま、

わたしは永遠の咀嚼を続ける。

_ それから

どれだけの時間が流れたのかわからない。

未だに空腹も食欲も消え去らぬのだが、さすがにあごが疲労した。

料理を口に運ぶその手を止め、小休止を取ろうとした。

「飢えは癒えたのかい」

闇の奥から声がして、そうかわたしは飢えていたのかと思い至った。

_ 「いいや

まだだ」

声の主はわからぬままだったがそう応えてみる。

「おまえはあの頃からずっと飢えたままだね」

闇の声が言う。

「あれは、天保の頃だったね」

そうだ、あれは確か天保七年丙申の年だった。

言われてみて、そう思い出す。

腹の中に、どこまでも深く底の見えない、暗黒の飢えが広がっていった。

_ そうだあれは

天保の頃だった。

村々は何年にも渡って飢えに苦しんでいた。

赤子は乳を求めて声なき泣き声をあげ、

老いたる者は静かに死んでいった。

後の世には悪天候による凶作が飢えの源と伝えられているが、

実際はそうではない。

たった一羽の鳥が、全ての災いをもたらしたのである。

_ それは

ほんとうに大きな鳥であった。

時の将軍、徳川鮒吉が酉年生まれであったため、

村人たちはその鳥を傷つけることを禁じられていた。

そのためその鳥は増長し、村の畑のヒエやアワ、あろうことか稲まで食い荒らし、

三年にも渡る食い放題の暮らしにより、身の丈九尺にもなろうかとしていた。

_ 「もうあの鳥を

殺るしかねえだ」

作物を食い荒らされ、追い詰められた村人たちは夜な夜な寄り合いでそう話しあった。

「あの大きな鳥がいる限り、どんなに稲やアワを作ってもわしらの口には一粒も入らん」

村長がそう言う。

疲れ果て、絶望に打ちひしがれた村の者たちが無言でうなづく。

囲炉裏の火が、いくつもの顔を照らす。

誰も口を開かない。

ぱちり。

火がはぜる。

「………だが、誰がやる?」

_ 将軍鮒吉の命により、

鳥を殺せば打ち首獄門は免れない。

酉年生まれの鳥公方と陰口を皆叩きはするものの、

将軍に逆らえる者などいるわけがない。

無言。

「………わしが殺る」

今から百数十年前、

わたしはそう答えた。

_ 月の無い夜だった。

隣組の弥七とともに、わたしは村はずれの野原へとむかった。

手には鎌、これであの鳥の、首根っこを掻き切る。

がさり。

足元で草が音を立てる。

_ 鳥は

草叢で、その巨大な体を休めていた。

おのが羽の下にその頭を突っ込み、低い寝息を立てていた。

静かに鳥に近寄り、狙いを定める。

一息だ、一息で殺る。

鎌を振り上げ、大鳥の首根をめがけて一気に振り下ろした。

_ コケーッッッ。

闇を切り裂く、甲高い断末魔。

大鳥の首から真っ赤な血が吹き出す。

大鳥は、首を失ったまま目暗滅法に走り出し、

野原を赤く染め、やがて倒れこんだ。

_ 大鳥が

殺された知らせは江戸に届き、わたしは打ち首獄門となった。

村に飢えをもたらした大鳥はこの世から姿を消し、

伝え聞くところによるとその肉は密かに村人たちに振舞われたという。

大鳥によってもたらされた飢えは、

大鳥によって癒された。

だがしかし、わたしは飢えから解き放たれることなくこの世から去り、

永遠に孤独と空腹に苛まれている。

_ 「おまえは

村人たちを救った、英雄というわけだね」

追憶から我にかえったわたしに、闇の声がいう。

ああそうだ、わたしは英雄なのだ。

「だがおまえの名は、誰にも伝えられることはなかった」

そうだ、わたしの存在は

何千何万という飢えに苦しみ死んで行った者たちの間に埋もれていったのだ。

「おまえを苦しめ、死に至らしめた者の名もまた、

歴史に刻まれることはなかった」

ああそうだ、彼らもまた、

暴虐と理不尽に満ちた人類の歴史の中では

注目に値しない平凡なものなのだから。

_ 「だがあの

大きな鳥だけは歴史に名を残した」

そうだ、全くその通りだ。

わたしは闇の声にむかってうなづき、こう応える。

_ 声よ、

何者かも知れぬ闇の声よ。

おまえも歴史の教科書で見たことがあるだろう。

首を切り落とされ、闇雲に走り回る巨大な鳥、

まわりで逃げまわる村人たちの恐怖の顔。

あの巨大な鳥、貪欲で獰猛で、傍若無人なあの大きなニワトリこそが

後の世にいう

天保の大チキンだったのだよ。
(hirokatz.tdiary 2004年1月12日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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情報戦としての稲田朋美防衛大臣辞任劇~ぼくのかんがえたさいきょうのじょうほうそうさじゅつ

稲田朋美辞任現象に注目している。

官僚組織と政治家がどう「つきあって」いるのか、部外者からも垣間見える瞬間であり、一種の情報戦としてみるとたいへん興味深いからだ。

週末なので陰謀論と妄想にふけるのをお許しいただきたい。平日は真面目にやりますんで。

 

稲田氏にとってケチのつきはじめはアジア安全保障会議での「グッドルッキング」発言。国際的な場で、女性差別的ととられるリスクのある発言が出てきたのはなぜか。その場のアドリブでなければ原稿があるわけで、原稿のチェックの段階でスルーされたのは、誰かのなんらかの意図があったのではないだろうか、と先日考えた。

 

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 で、そう考えると、ずいぶんスピーディに「グッドルッキング」発言は国内報道されたなあと思う。まったく根拠はなく陰謀論だが、担当者が積極的に「発言が問題視された」というニュースを懇意の記者に情報提供したのかなあと妄想してしまう。

担当者にとって、情報には二種類ある。「出したい情報」と「出したくない情報」だ。「国際会議の場で自分の省の大臣が容姿に関わる発言をし、それが国際的に問題視された」という事象・情報は、担当者にとって「出したい情報」だったのか「出したくない情報」だったのか。もし前者だったとすれば、懇意の記者に前もって注意を喚起しておくこともできるだろう。

 

マスコミとの「つきあい」方について、外務省の場合はこんな感じだそうだ。
<外務省は「霞クラブ」の記者を外務官僚にとって都合の良い記事を書く「与党」とそうでない「野党」に区別する。この場合、マスコミ自体の色はあまり関係ない。読売、産経、NHKが「与党」で、朝日、テレビ朝日が「野党」ということではない。個々の記者が書く記事を外務省は実によくフォローしている。テレビ放送についても政官界に影響を与えるテレビ朝日の「サンデープロジェクト」などは放送内容を活字に起こして回覧する。そして記者だけでなく、有識者についても外務省にとっての「与党」、「野党」の色分けをする。そして、「与党」記者に対して、飲食・飲酒接待を継続的に行い、不祥事などの報道については筆を抑えてもらうように働きかける。最初は高級レストランで飲み食いするが、その内、友人としての雰囲気を出すために、あえて「縄のれん」などに通い気さくな感じで記者に接触する。 

 これも心理工作の一環だ。>(佐藤優『外務省犯罪黒書』講談社 2015年 p.108)

 

佐藤氏の同書によれば、「懇意の記者」は育てることもできる。

「与党」の記者には優先的に特ダネを提供していけばその記者はどんどん出世してさらに影響力を増す。また、「おつきあい」の中で「たまたま」「ちょっと過剰な」接待の事実があれば「野党」記者の出世のスピードをスロウ・ダウンさせることもできる。(参考文献・上掲書。p.102-110。本文ではもっと直接的な表現になっている)

 

「出したい情報」と「出したくない情報」という観点から興味深いのは8月3日発売の週刊文春の『防衛官僚覆面座談会』(p.26-27)だ。

週刊誌の覆面座談会記事の中にはどう考えてもライターの脳内創作みたいなものもある。『覆面OL赤裸々座談会~わたしたち、オジサンのこんなとこチェックしてます』とか『覆面女子大生座談会~今ドキの女の子って、結構カゲキ』とか。何読んでんだ。
なので、週刊文春の防衛官僚覆面座談会も割り引いて読まなければならない。この座談会がホンモノだとして、<官僚A 私も過去二十五年以上三十人以上の大臣に仕えてきたけれど、申し訳ないが史上最低。>(p.27)というのは、防衛官僚にとって「出したい情報」だったのか「出したくない情報」だったのか。

マスコミが「ネタ元」から「出したくない情報」を引っ張り出すときには相当気を使うという。
<週刊誌の編集者や記者なら誰でも、他人に絶対明かせない「ネタ元」を何人か持っている。まさに墓場まで持っていく関係だ。私もマスコミ関係者はもちろん、政界、官界、財界、さらには肩書きのつけようのない人物も含めて、何人かの大切なネタ元がいる。
 そうした人物とは、たいてい人目につかない場所で密会する。密会の場は様々だ。早朝のホテルで、ヨーグルトとフルーツ、コーヒーだけの朝食をともにすることもあれば、昼や夜に会食することもある。会うのは常に「完全な個室」だ。もちろん入るときと出るときは別々で、必ず時差を設ける。従業員の教育が徹底されていて口の堅い店を選ぶのは言うまでもない。(略)
 かつて、上海総領事館の電信官が中国公安当局から情報提供を強要され、自殺していた事件をスクープしたことがあった。その際は目立たないビジネスホテルの一室に関係者の一人を呼び出した。義理があって、その人物がどうしても断れないルートを使った。ベッドが大半を占拠している狭い部屋で向き合った。彼の警戒感と怯えの色が浮かんだ表情は、今でも鮮明に覚えている。>(新谷学『「週刊文春」編集長の仕事術』ダイヤモンド社 2017年 kindle版203-215/2641)

 

もし稲田氏が<申し訳ないが史上最低。>というのが防衛省にとって「出したくない情報」ならば、覆面とはいえ座談会は引き受けないのではないか。
稲田氏が防衛大臣であり続けた場合には、犯人探しも起こるだろうし、その場合には同席した官僚仲間から密告されるリスクもある。
逆に、防衛省的に稲田氏の人物評が「出したい情報」であり、今が出してもよいタイミングと考えていたなら、座談会記事が載ったのはよくわかる話だ。

情報操作のことを横文字でスピン/Spinという。この情報操作=スピンについて、ノンフィクションライターの窪田順正氏はこう書いている。
<人が情報を誰かに伝えようとする時、自分が有利になるよう、作為的に情報の内容を変えようとするのは当然である。「客観報道」などということを標榜する報道機関ほど、主観と独断に満ちている。まったく操作をおこなわず、加工なしの情報を伝達できるのは、感情のない神のような存在しかいない。

 では本当に恐ろしいのはなにか。それは、スピンの存在すら知らず、それが中立公平な情報だと信じ込まされることである。恐ろしいことに、日本には、

「世の中に溢れている情報は誰かが意図的に流したものだ」

ということに気づかない、疑うことを知らない人が大勢いるのではないだろうか。>(窪田順生『スピンドクター "モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』講談社 2009年 p.203)

 

【警告】陰謀論はあなたの心の健康をむしばみます。心の健康のために、陰謀論とネットの使用はほどほどに。

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陰謀論としての稲田朋美防衛大臣辞任~誰が「グッドルッキング」と言わせたか

稲田朋美氏が7月28日、防衛大臣を辞任した。いわゆる日報問題が直接の原因だ。

ここ1、2ヵ月ずっと気になっていることがあって、それはあの時誰が「グッドルッキング」と言わせたかである。

 

一連の稲田朋美氏バッシングが世間に流通し始めたのは6月3日シンガポール「アジア安全保障会議」での演説からではないかと思う。その席上で、稲田氏はオーストラリアとフランスの女性国防大臣について触れ、「私たちは女性で同世代、そして何より重要なのは、皆グッドルッキング!」と演説した。

それが国際的に失笑を買い、批判の対象となった、とすぐに報道されたのは記憶に新しい。

以下、陰謀論になる。
一国の大臣が国際的な場で演説をする際、ましてや母国語でない言語でスピーチをするならば、スピーチ原稿なしで演説したとは考えにくい。
責任ある立場での発言なので、事前に問題がないか防衛省内でダブルチェック、トリプルチェックを受けているはずである。
「グッドルッキング」のジョークを発案したのが稲田氏本人なのか周囲のスタッフなのかはわからないが、常日頃から他国のカウンターパートとのやりとりを行っているスタッフは問題視しなかったのだろうか。もしかして、あえて誰かがスルーしたのではないか、と思ってしまうのだ。

他官庁の例を挙げる。
<新任大臣が、うっかり役所の意図とは異なる発言をしてしまうと、役所にとって都合の悪い事態を招きかねない。それを阻止するために、新任大臣が内定すると、記者会見の前に、秘書官がコンタクトを取り、作成した答弁集を渡し、「この件については、やるといわないでください。どうしてもという場合でもこれから検討しますとおっしゃってください」という具合に、吹き込むのだ。この答弁集は、「べからず集」と呼ばれている。>(髙橋洋一『さらば財務省!』講談社 2008年 p.236。新任大臣が就任記者会見に臨む前の話とのこと)

大臣がヘンなことを言ったり、役所の方針と違う話をしたり、できもしない約束をしたりしないようにチェックするのも官僚の仕事のうちのようだ。

週刊誌レベルの話になるが、稲田氏は以前より防衛省内での評判があまりよろしくなかったようだ。

週刊文春8月3日号では<防衛官僚覆面座談会>と銘打ち、防衛省担当記者、防衛官僚A、B、Cなる人物を登場させ、こんなコメントを載せている。
<記者 で、初外遊で早速物議を醸したのが昨年八月のジブチ訪問でした。
官僚B 野球帽とサングラスの「リゾートルック」姿をみて、のけぞりましたよ(苦笑)。続く護衛艦の視察もマリンルックにハイヒール姿。規律や服装に厳格な自衛隊だからこそTPOは大事です。>(上掲誌 p.26)
<官僚A 私も過去二十五年以上三十人以上の大臣に仕えてきたけれど、申し訳ないが史上最低。本当に嵐のような一年だった……。>(上掲誌 p.27)
この週刊文春が店頭に並んだのは辞任が決まる前だが、もし辞任することがなければこの覆面官僚なるものは誰なのか、「犯人探し」が行われてもおかしくないほど踏み込んだ発言のようにも思える。また、同週の週刊新潮でも稲田氏バッシングが同時に展開されているのも大変印象的だ。

少々回り道を。
今から四半世紀前、一冊の本が世間の話題をさらった。小沢一郎氏の『日本改造計画』である。

小沢一郎氏は当時、閉塞した政治状況に風穴を開けるのではないかとおおいに期待され、おおいにおそれられた。

その本のまえがきはこう始まる。
<米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。コロラド川コロラド高原を刻んでつくった大渓谷で、深さは千二百メートルである。日本で最も高いビル、横浜のランドマークタワーは、七十階、二百九十六メートルだから、その四つ分の高さに相当する。

 ある日、私は現地に行ってみた。そして、驚いた。

 国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない。日本だったら柵が施され、「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり、公園の管理人がとんできて注意するだろう。>(同書 p.1)

小沢氏の『日本改造計画』はそのあと、アメリカは自己責任で個人主義の社会であると述べ、日本は<自ら規制を求め、自由を放棄する。そして、地方は国に依存し、国は、責任を持って政治をリードする者がいない。>(同書p.5)>と続く。
日本が国家として自立するためには個人の自立が必要で、そのためには「グランド・キャニオン」から柵を取り払わなければならない、と同書はアジっている。

だが、このグランド・キャニオンの柵のエピソードについてこんなことを書いてある本がある。
<これは大嘘です。実際は、柵はちゃんとあります。柵が立ってないのは、観光客の入らないところだけです。グランドキャニオンには毎日、たくさんの日本人観光客が入るわけだから、この前書きを読んで首をかしげる人は多いはず。一体なぜ、こんなバカなことが書いてあるのか。

 あの本は、実は、官僚と新聞記者の合作なんですよ。小沢さんという人は、東大出のいうことは何も確認しないで信じてしまうということをちょっと利用させていただいた、われわれのイタズラなんです。小沢さんという人は、恐ろしく単純なアメリカ崇拝論者だから、それをからかったんです。そして、その本の顔である前書きで、わかる人には「この本おかしいぞ」とわかってほしいというひそかな願いもこめてね。>(テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』飛鳥新社 1996年 p.105。大蔵省(当時)主計局キャリア・軍司誠(仮名)氏の発言として記載)

グーグル画像検索で見ると、やはり柵はあるようですね。

 

アジア安全保障会議での「グッドルッキング」発言に戻る。

「グッドルッキング」ジョークがもしウケれば大臣も喜ぶ、しかしセクハラ・コードに引っかかって失笑をかえば大臣の足を引っ張るネタを懇意の記者に提供し、世間が稲田氏についてどう反応するか観測気球を上げることが出来る。どちらに転んでも損はない。

他国の女性国防大臣を引き合いに出して「私たちはグッドルッキング」と言わせることで、分かる人には「この人はおかしいぞ」とわかってほしいというひそかな願いをこめたスピーチライターが防衛省内にいたんじゃないかと思ってるんですが、中の人、いかがでしょうか。

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祝!リカちゃん人形生誕50周年(R)

歳をとるごとに自分が面白くない人間になっていると感じることがある。
世間の常識にとらわれ、幼いころにはわくわくした話にすら懐疑の目を向け距離を置いてしまう自分を発見し、がっかりする瞬間がある。
一番最近そう感じたのは、娘の持っているリカちゃん人形の解説書をふと手にとったときだった。

 

香山リカ、11歳。小学5年生。
家族、パパ 香山ピエール 36歳、音楽家。
ママ 香山織江 33歳、ファッションデザイナー。
そのほかに、双子の妹、香山ミキと香山マキ 4歳と、さらにその下に香山みくと香山かこ、香山げんという三つ子がいる。
おばあちゃん、香山洋子、と記載があり、おじいちゃんの名前はない。
今まで知らなかったがリカちゃんは6人兄弟だったのだ。

 

気になるのはピエールだ。
香山姓ということは、ムコ養子である。
リカちゃんが11歳でピエール36歳、織江33歳ということは、ピエールが25歳、織江が22歳のときにリカちゃんが生まれたわけだ。
交際期間もあるので、ピエールと織江が出会ったのはその数年前。
織江はファッションデザイナーなので、おそらく当時はまだ専門学校の学生だったのではないだろうか。
交際からリカちゃん誕生までを仮に3年とすると、19歳の服飾系専門学校生の織江は、街で自称フランス人で自称ミュージシャンの22歳のピエールに声をかけられたのだろうか。

リカちゃんママ、なかなかにスリリングな選球眼である。

結論)信頼できる音楽家のピエールは、ピエール瀧だけ。

 (FB2014年5月を再掲)

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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居酒屋談義:「男は総額 女は個数」仮説

まずは居酒屋にいると思っていただきたい。

ビールの1,2杯でも飲んで軟骨揚げでも食べて、そのあとハイボールも飲んでいる間に店員がサラダの皿を下げに来て、ちょっと焼うどんとか食べたいとか言いだすヤツがいるくらいのタイミングだと思っていただけるとありがたい。
エビデンスとか科学的合理性とか、人によってはポリティカル・コレクトネスとかがどっかに行き始めたくらいのアルコール血中濃度だと思っていただけるとなお助かる。

誰かがこう切り出す。

「それにしてもどうして男/女ってさー」。

それくらいのレベル感の話。

 

すいぶん前にスポーツ新聞で読んで、その後の人生に結構影響を与えていることがある。スポーツ新聞なので読者の大半は男性で、こんな話だ。

 

仲のよい女性がいるとする。彼女でも奥さんでもいいけれど、常日頃からちょっとしたことを助けてくれたり、ちょこちょこと何かしてくれたりする。

あなたがもしお礼やお返しをしたいと思ったとき、「いつもお世話になっているから」と、どかんと大きくお礼をしようとしてはいけない。

最高級のお店のディナーや宝飾品などのプレゼントで何万円を費やしたとしても、あなたは「いつもお世話になっているぶん、これでお返しができた、これでチャラだ」と思ってはいけない。

なぜなら、女性は10回も20回もあなたのことをケアしているにも関わらず、あなたは1回だけしかお返しをしていないから。女性にとって、1回は1回。総額何万円のお礼を1回しただけでは、イーブンにならないのだ。

人間関係のお礼やプレゼントのやり取りにおいて、男は総額でいくら使ったかで評価しあうが、女は回数・個数やどれくらい頻繁かで評価しあう。「男は総額 女は個数」なのだ。

 

こんな話を読んで、改めて周りを見回してみると妙に納得できることに気づいた。

昔から、「色男よりマメ男」というように、マメな男というのはよくモテる。

思いのこもったラブレターを便箋何枚にもつづっていきなり送りつける男より、「元気?」とか「何してる?」とか何にもなくてもちょこちょこメールや声かけしてくる男のほうがモテる。年に1回、十万円もするプレゼントをする男よりも、毎回毎回ちょっとしたスイーツを差し入れてくる男のほうがモテる。

この歳になるとわかるが、前者は重たすぎるし、ちょっと怖い。だが、男は、若いうちはこのことに気づかない者が多い。気づいた少数者はモテてますな。

 

「男は総額 女は個数」で評価するのはなぜか。

冒頭に戻って、居酒屋でほろ酔い程度の話であることを思い出していただきたい。ポリティカル・コレクトネス、通称ポリコレ棒はいったんわきに置いて、「酔っぱらいの言うことはしょーがねーなー」くらいの感じで聞いていただければ幸いだ。

居酒屋談義レベルで言えば、その昔、男は狩りに出てマンモスを狩り、女はムラで家事と子育てをした。

男はヤリで一撃必殺で大きなマンモスを仕留める必要があったから、一点に集中し、できるだけ大きな成果を上げることに長けるよう進化した。大きな成果=総額、が男にとっての評価基準となった。

女はたくさんの乳飲み子をいっぺんに面倒みなければならないから、同時にいろんなことをこなすことに習熟し、いくつのタスクがあるか把握するのがクセになった。すなわち、何人の乳飲み子がいるか、個数が女にとって一番大事なことになった。

その進化の果てに我々がいて、だから「男は総額 女は個数」で評価しあうのである。…イタタ、居酒屋談義だからポリコレ棒でポカポカ殴るのはやめてください。

 

「男は総額 女は個数」仮説はなかなかイケるんじゃないかと思うのは、夫婦の家事分担のトラブルのときだ。

夫が「俺はこれだけ稼いできている(=総額)」と言えば、妻は「あたしは洗濯や料理、子どもの送り迎えに掃除とかたくさんいろんなことをしてる(=個数)」と返す。前提となっている評価基準が違うのもあって、話はすれ違う。こじれればこじれるほど、「掃除とかいってもそんなに量もないじゃん(=総量)」「あなたは仕事だけしてればいいからいいわよね(=個数)」と互いの非難の応酬となる。

そんなとき、「男は総額 女は個数」仮説を思い出して、互いの評価基準が違うせいで話がかみ合わないのかもしれないと冷静になっていただければ嬉しい。

 

ま、つまりあれですよ、なにが言いたいかっていうと矢野顕子ですよ。
ほらあるじゃない、あれだよあれ、なんだっけ、えーっと…そうそう、こういう歌詞。


<男もつらいけど 女もつらいのよ

友達になれたらいいのに

くたびれる毎日 話がしたいから

想いきり大きな字の手紙 読んでね>

えーっとなんだっけ。結構飲んだねー。

…すみませーん、お勘定!

あー、『ラーメンたべたい』。

www.youtube.com

上原ひろみすごいなー。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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魁!甲子園ーなぜ高校野球は真夏の炎天下で行われるのか(R)

こう蒸し暑い日が続くと、嘘でもつかないとやっていられない。

 

それにしても、この暑さのなかで野球をやっている高校球児には頭が下がる。
なにもこんなに暑い時期にやらなくてもいいのに、と思うのだが、高校野球にはこの時期をずらせない理由がある。
実は、甲子園と暑さとは切っても切れない関係にあるのだ。

 

以下、民明書房の本から引用してみたい。

 古代中国の孔子炎(こう・しえん)が、国と国との全面戦争を避けるために考案した代理戦争が野球であることは意外に知られていない。辺境の州や国から選抜された勇士たちが、他国を射止めるべく戦ったのが野球の始まり、辺射州暴留(ベースボール)なのである。


 呪術と武術を極め、甲軍は魔力を留めた暴れ球で敵を殲滅せんとし、乙軍は限界まで耐えた後に腰から抜いた棒に怒りを込めてその暴れ球を打ち返す。魔運土(マウンド)、暴留(ボウル)、抜怒(バット)などの名前にそのなごりを留めているのだが、今ではその由来を知る者はまれになった。
 なにを隠そう、相手を死に追いやる死球(デッドボール)こそ、本来の野球の姿であったのである。
 

 勇士たちは流血してもそれを止めることなく死合(しあい)を続け、狂気の中、己の血を捨てているようにさえ見えたという。
 力の差がありすぎる場合最後まで死合は継続できず、出血多量のため敗者の体は凍ったように冷たくなっていき、凍弩(コールド)負けを宣言された。
 この互いの命をかけた死合は、熱された超巨大な中華ナベの上で行われた。
 冷酷非情なこの競技場こそ、捨血愛無(ステジアム)である。
 
 これが炎天下で行われる高校野球の起源であることを知る者もほとんどいなくなってしまったのは、なんという歴史の皮肉であろうか。

引用以上(民明書房刊 『激突!男の捨血愛無ー孔子炎から甲子園へ』)

嘘です。念のため。

 

まあそれは冗談だが、さる筋によると、猛暑の中での試合については毎年激論が繰り広げられるらしい。

若手改革派「○×役員!甲子園の開催時期のことですが、球児の体調も考えてここは前か後にずらすべきではないでしょうか」
古株役員「○×役員だ~?さんをつけろよデコ助野郎!!
おれたちはなあ、泣く子も黙る孤烏夜烈夢(こうやれん)だぞ。暑さがなんだ、湿度がなんだ!
ここで引いたら先輩たちに顔向けできねえんだよ!
元気があれば何でも出来る!!オレたちは空調の効いた役員室で見ててやるから、見事散ってこい!!」

嘘です。念のため。

マジな話、犠牲者がでる前に炎天下での過酷な試合日程などは考え直したほうがいいと思う。被災地復興の祈りを込めて、決勝戦以外を東北地方でやるという手もあると思うんだけどなあ。
(FB 2013年8月17日を再掲)

 

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酒飲みがどんなに酔っぱらっていてもきちんと家に帰る理由(R)

えー、昔から『酒は百薬の長』なんて申しまして、上手につきあえばこれほど結構なものはございません。
話ははずむ、つまみはおいしい。一人でちびちびと飲むお酒なんてものもまた、オツなものでございますな。
つきあいかたを間違えるとこれはまた大変なものでございまして、『百薬の長』ならぬ『百厄の長』なんて具合になってしまいます。

 

お酒飲みというのはまあ不思議なものでございまして、どういうわけかみんなどんなに酔っぱらっていてもキチンと家に帰ります。
ふらふらしながらもどうにかこうにか自分の家にたどりつきまして、記憶がなくなってもちゃーんと自分の布団で寝ている。
小難しい言い方をすれば『帰巣本能』なんて言いますんでしょうか、どんなに酔っぱらっていても自分の巣に帰っていくんですな。

 

あれはまあどういうわけかっていうと昔から不思議に思っていたんでございますが、最近ふと気がついた。
どうやら酔っぱらって『帰巣本能』が働くような人たちだけが子孫を残して来られたんじゃないだろうかってことでございます。

 

人間の進化の過程ってえものにおきまして、おそらくってえと酔っぱらって山に登りたくなるような『登山本能』や酔っぱらうと海に飛び込みたくなるような『ダイブ本能』をお持ちの方ってえのもいらっしゃるんでしょうが、そうした人たちってのはどっかでやらかしてしまって、よっぱらって山や海から帰れなくなって歴史から抹殺されてしまった。そうするとそうした『登山本能』や『ダイブ本能』をお持ちのかたの遺伝子ってえのは残されません。


かつていらっしゃった様々な『本能』の遺伝子はこうやって淘汰され、酔っぱらったあとモーローとなりながらも自分の巣に帰りつく『帰巣本能』をお持ちの酔っぱらいの方々が、子子孫孫と生き残ってきた次第じゃあないでしょうか。

 

落語の世界でもそうしたお酒好き&『帰巣本能』の遺伝子をお持ちの人の話ってえのはあるもので…

 

ただいまっ、今帰りました。うい~酔っぱらっちゃった…
(以下『親子酒』)
(FB 2015年8月29日を再掲)

 

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