雪の降る町の夜に。
〈♪だからキライだよ こんな日に出かけるの〉
キライでもなんでも、とにかく出かけねばならない。仕事だからだ。
だいたいからしてクリスマスとか大晦日とかお正月というのは若手の医者が当直すると相場が決まっていて、クリスマスとか大晦日とか元旦くらい家族持ちの上司の医者には休んでもらわねばならない。ほんとは病院によるけど。
そんなわけで20代とか30代前半の年末年始の思い出といったら病院の当直室や救急室の思い出ばかりになる。
大学病院で研修していたときにはICUに受け持ち患者さんがいて、おまけに2000年問題とやらでやたらと人が病院に待機していた。なぜだか職員食堂では年越しそばが出て、あれはあれで風情があったな。
元旦には教授回診があって、あれはもう前世紀の忘れられた風習なのだろう。
ここ何日か、少し寒くなってきましたね。
〈♪人も車も減り始めてる
年末だから ああ〉
大きな寺と空港のある街に赴任していたころは、通りがかった参道の店々で正月の準備をしていて、あれも味わいがあった。
一日二日経つと参拝客でごったがえす参道は嵐の前の静けさといった感じで、どんよりとした空の下、病院へ向かったものだ。
〈♪僕らの町に 今年も雪が降る〉
北関東の、運河のある町に赴任したときは大晦日の当直の夜に一人で医局にいたら上司のT先生がコンビニのおでんを差し入れてくれて嬉しかったな。
「むかしは医者みんなで医局で年を越したもんだったけどな」
二人きりで医局でコンビニおでんをつつきながらT先生がつぶやいたけど、間がもたないのかT先生もいそいそと家に帰っちゃって、除夜の鐘とともに救急車が到着したものだった。
日本には8205軒の病院があるそうで(令和3年10月時点)、今年のクリスマスや大晦日や元旦も、最低でも8205人の医者と(複数の医者が当直する病院が多いからほんとはもっと多いけど)さらに多くの看護師さんとか技師さんとか事務さんとかが病院と町を守ることになる。
交通機関や年末出勤の会社やコンビニやその他もろもろ、社会のそれぞれの場所で、それぞれの仕事でクリスマスや大晦日や元旦も世の中を回している。
クリスマスや大晦日や元旦が、穏やかで平和な夜であることを願う。
〈♪あと何日かで 今年も終わるけど
世の中は いろいろあるから
どうか元気で お気をつけて〉
それじゃまた。
大きめのボウルにバターをひとかたまり。
イノベーションのタネは田舎にあり【加筆修正】
2016年に書いたものを加筆修正しました。
かつて出会ったアメリカの外交官は言った。
「今や、カルチャーショックがあるのは東京とニューヨークの間じゃない。
東京とニューヨークは似ている。 アメリカの田舎と日本の田舎も似ている。
差が大きくてカルチャーショックを受けるのは、アメリカと日本の違いじゃない、都市と田舎の違いなんだ」
ニューヨーク育ちの彼はかつて、JETプログラムで東北地方の高校に赴任したという。
「赴任してアパートの窓を開けたら、目の前にぶわーっと一面の青い田圃が広がってね。…あの光景は、たぶん一生忘れない」
経済成長のために必要なのはダイバーシティだと言われ出したのはいつのころからだろう。
働き盛りの男性だけでアイディアを出していても限界がある、企業や大学に必要なのは女性や外国人、高齢者など様々な人材の視点だ、重要なのはダイバーシティだ、と皆が口を揃えて言う。
それはそれで素晴らしい。
だがしかし、ほかの企業や大学と同じことをしているだけではダメだ。視点は常に次の一手。
女性や外国人、高齢者を取り込んでいった次には何が起こるのか、ダイバーシティ2.0は何かを考えてみる。
1.グローバル消費文化により、世界の大都市は差異よりも共通点のほうが多くなる。
リンダ・グラットン『ワーク・シフト』(プレジデント社 2012年)にこんな一節がある。
<次に引用したのは、ある一七歳の女の子ーサミーと呼ぶことにしようーが二〇一〇年にフェイスブックの自分のページに載せたプロフィールの一部だ。
好きなものはタトゥー、MINIの自動車、レッドソックス、iPhone、UCGのブーツ、エクササイズ、カワイイ飲み物、パピルスのグリーティングカード、ジューシークチュールの洋服と小物、セフォラのコスメ、肌を焼くこと、ハドソンのジーンズ、ブリトニースピアーズ。>(kindle版 1954/6585)
<さて、ここで質問。サミーは、どこに住んでいるのだろうか。東京?ムンバイの富裕地区?ひょっとしてロンドン?モスクワ?>(1995/6585)
この部分には二つのポイントがある。
一つは、高度に発達した消費文化の中で、人は自分が好むモノの名前を用いて自分を語るということ。
そしてもう一つ重要なのは、グローバル消費文化では、消費活動は地域性が薄くなってきている、ということだ。
世界中の大都市では、互いのライフスタイルは差異よりも共通点のほうが多くなってきている。
東京で上海でニューヨークでリオデジャネイロでロンドンで、スターバックスに集いiPhoneを操りgmailやフェイスブックで交流する。
この大都市間のライフスタイルの均質化現象は、すでに20年以上前(おそらくもっと前)から気づかれていた。
ベストセラー『負け犬の遠吠え』(講談社 2003年)の中で、著者の酒井順子は『ブリジット・ジョーンズ』や『セックス・アンド・ザ・シティ』が負け犬ストーリーであるとしたうえでこう述べた。
<「ブリジョン」「アリー」「SATC」の順で接してきた私は、 「げ、これって私のこと?」 と、いちいち感じてました。そして、負け犬っていうのは世界中にいるのだなぁという、何か頼もしいような情けないような気分になった。
世界中とはいっても、サンプルは今のところロンドンとボストンとニューヨーク、そして自分がいる東京くらいなわけですが、その四都市にいるということは、世界中の都会という都会ーパリでも、上海でも、リオデジャネイロでも、そしておそはカイロなんかでもーに、負け犬は生息し、ブリジョン等の負け犬ストーリーに対して、 「わかるわかる」 と言っているのでしょう。>(同書 p.84-85)
現在、ダイバーシティを作り出すのに企業や大学の運営に女性や外国人の参画を促すということでやっていっている。
しかし女性の社会参加が進んで男女の差異が今より減って、外国出身ではありながらさらに均質化した大都市出身者ばかりを採用したら、昔よりもダイバーシティの源泉であるメンバー間の違いというのは見かけより小さいものになっているかもしれない。
そのときに次のダイバーシティの源泉をどこに求めるか。それは「田舎」だ。
人口減少社会で、東京都心のごく一部はメトロポリタン化し、その他のエリアは「田舎」化する。
24時間営業の店は減り夜中の街は真っ暗になる。
人手不足で店は無人化する。「田舎」の無人野菜販売所のリバースエンジニアリング。
かつて瀧本哲史氏は「北海道は日本の縮図。北海道で起こることは未来の日本で起こる」と書いた。
藤田田氏は「沖縄は米国のプレゼンスが大きいから、沖縄で起こったことは未来の日本で起こる」みたいなことを書いている。そうした目でも北海道と沖縄を見てみると興味深い。 もちろん札幌や那覇は都会なので、北海道や沖縄全体から学ぶべきだろう。
シンプルに要約すると
国民皆保険いまむかし。
現役世代の一員として社会保障費の負担が大きいのは同感だし、「どれくらいの負担がええんやろか」と悩む日々ですが、国民皆保険制度自体はぜひとも永続してもらいたいと思っています。
備忘録的にまとめておくと、国民皆保険制度が成立したのは1961年。それに先立つ1958年に国民健康保険法が制定されたとのことです(新村拓『日本医療史』吉川弘文館二〇〇六年 p.297)。
同書によれば、1956年頃、日本には無保険者が3000万人くらいいたとのこと(同ページ)。
それを踏まえ、
〈政府は、一九五七年に「国民皆保険推進本部」を設置し、国民健康保険の拡充を通して、大都市の零細自営業者・労働者の救済を目指した。その背景には、一九五五年頃から始まった高度経済成長期に、技術革新によって生産性を高める大企業と中小企業の格差が拡大し、自営業者とそこで働く労働者に、しわ寄せが及んだというか事態があった。皆保険は、大都市の貧困層増大という社会問題への対応策としての側面をもち、経済成長を持続させるための方策でもあった。〉(同ページ)
少なくとも当初は、国民皆保険制度は格差対策でもあったわけです。
今となっては想像もつきませんが、昭和30年代は「健康保険を利用するのは貧乏人だ」という意識があったようです。
水野肇『誰も書かなかった日本医師会』(ちくま文庫 二〇〇八年)にこんな記載があります。
〈(略)このころは「健康保険を利用するのは貧乏人だ」という意識が社会的にまだ残っていた。これは人々が考えるより強固なものであった。たとえば、このころより一〇年以上もあとのことだが、時の福田赳夫総理が虎の門病院で手術を受けた。退院直前になって虎の門病院の職員は、福田総理が現金で支払うものと思っていたが、それに反して福田総理は健康保険証を提出したので、一同啞然とした話がある。〉(上掲書p.69)
ちなみに日本医師会史上の有名人といえば武見太郎氏ですが、武見太郎氏の銀座の診療所は健康保険は扱わず、全額自費診療だったそうです(上掲書p.60)。
〈かつての武見診療所には、入り口に「次の人はすぐ診察します」と書いてあった。
一、特に苦しい方
一、現職国務大臣
一、八〇歳以上の高齢の方
一、戦時職務にある軍人 おそらく戦時中に書いたものを、そのままにしていたのだろう。
よく話に出るのはそれで武見の診察料はいくらだったかという話である。武見の患者は偉い人が多く、高額の金を払っていたにちがいない。料金表はない。いくらでも置いていってくださいという姿勢である。政治家で武見の患者だったある人に、「いくら払うんですか」とズバリ聞いたら、「いくらでもいいと言われると、少額というわけにはいかない。ちょっと診てもらったら一〇万円ですよ」と言っていた。昭和五〇年代の終わりごろの話である。〉(上掲書p.60-61)
昔はいろいろ脂っこいですね。
氷上のクリエイターと映画『ザ・メニュー』またはヴォルデモートは鬼束ちひろを聴いたか
クリエイターやアーティストは、時々世界を焼きたくなるのではないか。いやたぶん焼きたくなるのだろう。
とあるニュースを見て、そんなことを思う。
2022年公開の映画『ザ・メニュー』はご覧になっただろうか。
『ハリー・ポッター』の一部でヴォルデモート役のレイフ・ファインズが天才シェフを演じる。
ネタバレを極力避けたいが、『ザ・メニュー』でも主人公ジュリアン・スローヴィクは、彼の作り上げた世界を、焼く。
クソッタレのスポンサー一味、クリエイターを殺しに来る売れっ子評論家、なんでもかんでもありがたがる半可通のファン、物の価値のわからぬ太客、そして切り離しても切り離せないでも切り離したくもない過去の象徴である酔いどれの老母もろとも。
『ザ・メニュー』の場面構成は美しい。
料理の彩りを映させるためかはわからぬが人物や背景は抑えめの色合い。
時折、真上から見下ろす構図が挟み込まれる。
シェフが料理を見下ろす視点であり、神が人間界を見下ろす視点でもある。
思えば英語で神はThe Creatorであり、シェフもまたcreatorの1人だ。
全ての才能と努力と生活を投入し、己の望んだ世界を作り上げて手にしたと思ったときに自分に与えられたものを見て、クリエイターやアーティストは愕然とすることがあるのではないか。
そして得られた世界のすべてを焼いてしまいたくなるのではないかと思う。
〈I am God's child
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなものの ために生まれたんじゃない〉
(鬼束ちひろ『月光』)
氷上のクリエイターが今何を思うのかはわからないしわかると言うつもりもない。 世界は、残酷だ。
「止まない雨」とか試練とか。
「止まない雨はない」というヤツには「それより先にその傘をくれよ」と思うし「出口のないトンネルはない」というヤツには「トンネルじゃなくて洞穴だったらどうする」と思うし「辛いに一本棒を足せば幸せになる」というヤツには「何勝手に一本棒持ってきてるんだよ返してこいよ」と思う。
そりゃまあ今を我慢しなければならない局面というのもあるが、今を我慢すれば未来が楽になるから今を我慢しろみたいなことを言われると反発もしたくなる。つらい人つらい時というのは、今つらいんだっつーの。
ゲーテが、恋を失った心の痛みについてこんなことを主人公に言わせている。 〈(略)はたから『愚かな女だ、辛抱して時のたつのを待っていれば絶望もしずまるし、別の慰め手もきっと出てくるだろうに』なんていう人はどうかしているよ。ーそれはまるで『熱病で死ぬとはばかなやつだ。体力が回復して精がつき血の混乱がしずまるまで待っていれば、万事具合よくいっただろうに。そうして今日まで生きていられただろうにね』というようなもんじゃないか」〉(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』新潮文庫)
あとになれば元気になるからという理屈で今つらい人を励まそうとしてもナンセンスだということだろう。
これと似たような話で「神は乗り越えられる試練しか与えない」なんてことを訳知り顔でいう人もいるが、あれも話半分に聞いておいたほうがよい。
聖書にはこうある。
〈神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。〉(『コリントの信徒への手紙一』10:13)
逃げ道もあるんじゃないか。
そんなわけで、もしあなたが本当につらい時に誰かがしたり顔でアドバイスしてきたら話半分に聞いておくほうがよい。どうせテキトーに言ってるだけだし。
そんなことよりスイーツでも食べて布団にくるまってゴロゴロしていたほうがはるかに有益だってゲーテがファミレスで言ってた。ドリンクバー全部制覇してたぜあいつ。