国民皆保険いまむかし。

現役世代の一員として社会保障費の負担が大きいのは同感だし、「どれくらいの負担がええんやろか」と悩む日々ですが、国民皆保険制度自体はぜひとも永続してもらいたいと思っています。

 

備忘録的にまとめておくと、国民皆保険制度が成立したのは1961年。それに先立つ1958年に国民健康保険法が制定されたとのことです(新村拓『日本医療史』吉川弘文館二〇〇六年 p.297)。

同書によれば、1956年頃、日本には無保険者が3000万人くらいいたとのこと(同ページ)。

それを踏まえ、

 

〈政府は、一九五七年に「国民皆保険推進本部」を設置し、国民健康保険の拡充を通して、大都市の零細自営業者・労働者の救済を目指した。その背景には、一九五五年頃から始まった高度経済成長期に、技術革新によって生産性を高める大企業と中小企業の格差が拡大し、自営業者とそこで働く労働者に、しわ寄せが及んだというか事態があった。皆保険は、大都市の貧困層増大という社会問題への対応策としての側面をもち、経済成長を持続させるための方策でもあった。〉(同ページ)

 

少なくとも当初は、国民皆保険制度は格差対策でもあったわけです。

 

今となっては想像もつきませんが、昭和30年代は「健康保険を利用するのは貧乏人だ」という意識があったようです。

水野肇『誰も書かなかった日本医師会』(ちくま文庫 二〇〇八年)にこんな記載があります。

 

〈(略)このころは「健康保険を利用するのは貧乏人だ」という意識が社会的にまだ残っていた。これは人々が考えるより強固なものであった。たとえば、このころより一〇年以上もあとのことだが、時の福田赳夫総理が虎の門病院で手術を受けた。退院直前になって虎の門病院の職員は、福田総理が現金で支払うものと思っていたが、それに反して福田総理は健康保険証を提出したので、一同啞然とした話がある。〉(上掲書p.69)

 

ちなみに日本医師会史上の有名人といえば武見太郎氏ですが、武見太郎氏の銀座の診療所は健康保険は扱わず、全額自費診療だったそうです(上掲書p.60)。

 

〈かつての武見診療所には、入り口に「次の人はすぐ診察します」と書いてあった。

一、特に苦しい方

一、現職国務大臣

一、八〇歳以上の高齢の方

一、戦時職務にある軍人 おそらく戦時中に書いたものを、そのままにしていたのだろう。

 

よく話に出るのはそれで武見の診察料はいくらだったかという話である。武見の患者は偉い人が多く、高額の金を払っていたにちがいない。料金表はない。いくらでも置いていってくださいという姿勢である。政治家で武見の患者だったある人に、「いくら払うんですか」とズバリ聞いたら、「いくらでもいいと言われると、少額というわけにはいかない。ちょっと診てもらったら一〇万円ですよ」と言っていた。昭和五〇年代の終わりごろの話である。〉(上掲書p.60-61)

 

昔はいろいろ脂っこいですね。