『5年後に食えなくなる職業は?』が見落としているもの。

webニュースで『5年後に食えなくなる職業は?夏野剛と佐藤航陽が考える』という記事を読む。記事元は週刊SPA!で、一部抜粋なので制約はあるが、その中でこんなやりとりがあった。

夏野:そういう意味では、医師も他人事ではない。紹介状や処方せんを出すだけの街の個人医院なら、国が医療バージョンの知恵袋を提供すれば要らなくなってしまう。
佐藤:スマホに症状を入力するとデータベースで照合されて、考えられる病気が表示される。技術的には十分可能ですからね。>

 

医者の仕事はAIで代替できるんじゃないかというのは、医学生時代にみんなが考えることで今さら感があるが、あえて「それはない」と言っておきたい。少なくともしばらくの間は、という条件付きで。

理由は3つ。
①人間というインターフェイスをクライアントが求めるから
②不調の「見える化」、言語化の壁

③人間<AI<人間+AI

 

以下①-③について論じる。


①人間というインターフェイスをクライアントが求めるから

病院というのは非常にウエットな場所で、単純に診断を受け薬をもらうだけの場所ではない。

体の不調に思い悩んだ人は、正確無比な診断を下す人工知能と無人で薬を調剤する自動処方機よりも、なんとなく好感の持てる「信頼できそうな」医者と「お大事に」と温かく接してくれる医療スタッフを求める。
医療機関におけるクライアントである患者さんというのは、正確な診断を受けるということだけでなく、「よく診てもらった」という安心感をも求めているのだ。
多少割高であっても「いらっしゃいませ」と顔が見える「風の」接客スタイルのスターバックスが隆盛を誇っていることを見れば、人間はインターフェイスとして人間を求めるということがわかるだろう。

スターバックスの顧客は、単にカフェインと糖分・クリーム成分が得られればよいのではない。仮に、スターバックスラテとまったく同じものが提供される自動コーヒーマシーンがカウンターにおいてあるだけで内装等はまったく通常通りの全自動スタバがあったとして、誰がそこに通うというのだろうか。そういうものを作るのは、「技術的には十分可能ですからね」。技術的に可能でも、求める人がいなければ実現はしない。
ものごとを供給側だけから見るのは間違いで、需要側・消費側からも見なければならない。

②不調の「見える化」、言語化の壁

対談の中で佐藤は、「スマホに症状を打ち込むと考えられる病気が表示される。技術的には可能」と言う。

しかし問題は、「スマホに症状を打ち込む」という段階である。

体の不調をスマホで症状に打ち込むには言語化しなければならない。しかもそれが医学的に意味を持つ形の言語化が必須なのだ。

漠然とした不調を医学的に意味のある言語に変換するにはトレーニングが必要だ。端的に言えばそれこそが診断技術で、診断技術がないからこそ対価を払って人は医療機関を訪れるのだ。

そして漠然とした体の不調や体調不良を、医学的な意味がある要素だけを抽出して言語化できるようになるにはやはり経験が要る。

リュック・ベッソンの映画『フィフス・エレメント』で出てくる、全身をスキャンして細胞のDNAレベルまですべて精査できる機械が開発されれば話は別かもしれないが、不調を「見える化」、言語化すると言うプロセスは案外に大変なのだ。

 

他の分野に置き換えてみれば「スマホに症状を打ち込めばあとはOK」という想定がいかに馬鹿げたものかがわかる。

経営が傾いた会社を立て直すコンサルタントを考えてみよう。
スマホに経営不振の原因や状況を打ち込めばあとはAIが対策を考えてくれる」と言ったら誰もが一笑に付すだろう。

当事者では経営不振の原因がわからないからコンサルタントを依頼するのだ。
どこに不振の原因があるか「見える化」、言語化するプロセスにもコンサルト・フィーが発生しているわけで、当事者にとっては「会社が不調なのはなんとなくわかる。でも具体的にどこが悪いかがわからない」のだ。
同じように、医療機関を訪れる人は「体が不調なのはなんとなくわかる。でも具体的にどこが悪いかがわからない」のである。どこが悪いか言語化できるくらいなら、とっくにスマホで検索しているというものだ。

③人間<AI<人間+AI

人間とAIとどちらが判断能力が優れているかと聞かれたら、それはAIのほうだ。
感情に左右されず、バイアスなく判断を下せるのはAIのほうだろう。

チェスの世界では、すでにAIが人間を打ち破った。しかし面白い指摘が、エリック・ブリニョルフソン著『機械との競争』(日経BP社)の中で為されている。

すなわち、最高レベルのAIは人間にチェスで打ち勝つが、実はいちばん強いのはそこそこのAIとそこそこの人間の組み合わせだ、とのことだ(手元に本がないので不正確)。
医療現場での診断能力も同様かもしれなくて、最高レベルの診断マシーン単独は、そこそこの診断用AIとそこそこの医者のペアに負けるかもしれない。

 

IBMのパソコン「ワトソン」を用いた診断ソフトは開発されているが、IBMのワトソンに対する公式見解は「医師たちが最良の診断をするための強力な助けになる」とのことで、あくまで補助的なものとして位置づけているのは興味深い。AI対人間のチェス対決を経て、AI<AI+人間、という認識にたどり着いたのであろう。

ブライアン・クリスチャン著『機械より人間らしくなれるか?』(草思社)によれば、1960年代に精神分析医のやりとりを模した自動返答プログラムELIZAというものが開発され一定の評価を得たが、50年経った今でも精神分析医はAIに替わられていない。

蛇足であるが、もっともよく言われるのが医師の「経験と勘」はバカにできない、というものだ。
医師アトゥール・ガワンデの著書『コード・ブルー-外科研修医緊急コール』(医学評論社)には、自分自身でも考え過ぎだと思うのにどうしてもある若い女性患者がまれな「人食いバクテリア」感染ではないかとの疑念がぬぐえない医者の話が出てくる。彼は、苦悩の末、足の皮膚や筋肉を切り取って顕微鏡検査までし(通常はそこまでやらない)、「虫のしらせ」の通り「人食いバクテリア」犠牲者だったとわかる。


結論から言うと、医者の仕事がAIに完全に取って変わられるということはあり得ない。もちろん未来は予測できないし、自分の職業についてのことなので、もしかしたらぼくの目が曇っているのかもしれないが。

 

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