新国立競技場のデザインの次に考えるべきこと~五輪開会式問題(R)

新国立競技場のデザインが決定したとのニュースを聞いて、去年考えたことを思い出した。

以下、FBに昨年書いたものより。

テレビではソチ五輪の閉会式。
ロシアが生んだ音楽や文学、絵画が次々とパフォーマンスされてゆく。
五輪の開会式や閉会式では、主催国の歴史や伝統、文化というものが世界に向けて盛大に宣伝される。
現実的な問題として、五輪は主催国の国威発揚・国の存在感を高めるという機能を今も持っている。
その国が何を産んだか、どんなことで人類の歴史に寄与したのかを確認し世界中に知らしめる役割を果たすのが、五輪の開会式や閉会式だ。
ロンドン五輪では近代政治、ロックやパンクといった音楽、税金を原資として国民皆が無料で医療を受けられるNational Health Service(NHS)制度などが英国と英国民が生み出したものとして開会式で誇らしげに演じられた。

2020年の東京五輪では、いったいどんな開会式や閉会式が行われるだろうか。
日本は今まで何を生み出してきたのか。
開催国である私たちは、世界に向けて何を誇るのか。
精巧な電子機器や自動車?
たしかに日本は世界最大の工業国のうちの一つであるが、それがどんなふうに開会式や閉会式で表現されるのか、ちょっとピンとこない。
アニメやマンガ、10代のアイドル?
たしかに『ドラゴンボール』は世界中で放映され、サッカーの海外有名選手も『キャプテン翼』に憧れたというが、大人たちが胸を張って五輪の開会式などで「これが日本文化です」といって演じるためには、あと100年くらいの年月は熟成のために必要だろう。
そうは言っても、『となりのトトロ』が舞い踊る開会式はちょっと見てみたい。
歌舞伎や能といった伝統文化は言及されることになるだろうが、それらを「現代風にアレンジ」などした場合、失敗したら赤面ものだ。

閉会式で巨大な熊とウサギ、雪ヒョウの人形が動くさまをテレビで流しながら考えを続ける。
日本が世界の歴史に寄与し、他国に影響を与えたものはなにか。
他の文化と比べたときに、日本文化の特質はなんなのだろうか。
それは「やればできる」「社会の構成者同士が互いを信頼し、協力する」「真摯に学び働く」といった要素ではないだろうか。

歴史を単視眼的、短いスパンでとらえてはいけない。
国粋的・人種差別的に解釈されたくないので以下は婉曲的に書く。
数百年の単位で人類の歴史を振り返ったときに、日本が世界・他の国々に示したのは「やればできる」ということだった。
近代化や科学技術の発展は欧米でのみ可能であり、その他の地域は永遠に欧米の文化と繁栄のおこぼれに預かり続けるしかないと盲目的に信じられていた時代があった。
能力と富を生まれつき持った貴族しか成功を望むことはできず、そうでない者はただその日のパンのためにのみ働き続けるものだと無条件で思われていた国々があった。
いったん戦さや災害で国が焦土と化し全てががれきとなってしまったならば、二度と再興することはできないと誰もが疑わないことだってあった。

それに対し日本が示したことは「やればできる」ということだったのではないか。
日本が世界と他の国々に示し続けてきた根本的なメッセージは、「我々だって、こんな状況だってやればできる」ということだったし、そしてそのあとに続く言葉は「次はあなたの番だ」だったのではないだろうか。
日本が無意識のうちにそうしたメッセージを発し続けてきたからこそ、かつてエズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とアメリカ人に警鐘を鳴らし、マハティールは「ルック・イースト」とマレーシア国民に訴えたのだ。
そう考えると、オバマ大統領が好んだ「Yes, we can」は、実は日本のための言葉であったことを発見する。
真摯に学び、勤勉に働き、繁栄を分かち合え。
「Yes, we can. It's your turn /なんだってやればできる、次はあなたの番だ」こそ、2020年東京五輪の根底に据えるべきメッセージであるとぼくは思う。

そもそも日本は何を世界に与えてきたのか、日本の歴史は人類全体の歴史の中でどのように位置づけられるのか。
2020年東京五輪を計画するうえでその根本のところを見つめて確固たる基本理念に据えなければ、大人数のアイドルグループが国歌斉唱し、忍者と芸者が爆転し、サムライがハラキリし、開催都市の首長がアニメのコスプレをして世界中からの選手と観戦客を出迎えるような開会式になってしまうことだろう。
もっとも、舛添要一都知事が開き直って開催期間中ずっと『ゲゲゲの鬼太郎』のネズミ男のコスプレをしてくれるなら、ぼくとしては全面的に支持するつもりだ。

(FB2014年2月24日を再掲)