「君たちは幸運であります。
現在、地球上には200もの国がありますが、母国語で高等教育を受けられる国は限られています。
世界の高等教育に使われている言語は10程度で、日本語はその中の一つなのです」
壇上からその人は言った。
英語・フランス語・中国語・スペイン語・ロシア語・ドイツ語・アラビア語・イタリア語・日本語で9言語。ほんとに高等教育に使われる言語が10程度なのかは要確認だが、最低限言えるのは、確かに母国語の高等教育用教科書や教育機関が存在しない言語はあるだろうということだ。
話者の数が少なくて、その上特殊な分野のことを学ぶ人がなお少ない言語の話者はディスアドバンテージがある。
以前に会った上海人の話では、中国の少数民族の中には、大学に入る前にまず普通語の語学学校に通わなければならない人たちがたくさんいる(伝聞のため真偽は不明)。
高等教育を受けるためにはまず言語を習得しなければならない人たちがいることは確かだ。
日本語ユーザーが多く、母国語での学問マーケットがある日本ではそうした不自由を感じることなく母国語での高等教育を受けられる環境が存在している。
もちろんそれは先人たちが海外の学問を日本語に翻訳して広めたおかげでもある。
冒頭の話を聞いてぼくはそう感銘を受けた。
ずいぶん昔の、とある大学の入学式で聞いた話だ。
かくのごとく、大学の入学式でのエライ人の話というものはいい話が多い。
問題は、普通はみんなあんまり聞いてないということである。