人はなぜ学ぶのかについての二つの立場ー「三角関数なんか社会に出たら使わない」をきっかけに。

三角関数なんか社会に出たら使わないんだから、みんなが高校で学ぶ必要はない」という論について。

内田樹氏は2007年の著書『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』(講談社)で、市場主義は即時の等価交換が原則であり、教育は市場主義・商取引にはそぐわない、と指摘した。
なぜなら「教育の逆説」というものがあり、
<教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育過程が終了するまで、言うことができない>(上掲書  p.46)からだとした。

つまり、三角関数を学ぶ人は、学んでいる間や、ましてや学ぶ前には三角関数を学んでなんの利益になるかわからない、ということだ。

三角関数を学んで三角関数に代表される数学にハマり、数学の道や数学を生かした道で生きていくようになるかは、学ぶ前にはわからない。本人もわからないし親や教師もわからない。

誰が三角関数を入口とした数学の世界や数学を生かした世界にハマるか前もってはわからないからこそ、学校では広く浅く学ぶわけで、そこのところを「三角関数に関心がある者だけが学べばよい」ってのは机上の空論であるよなあ。


さて、なぜ人間は学ぶのかという問いに対し、大きく分けて二つの立場がある。
一つは「役に立つから」派であり、もう一つは「人間だから」派である。
自らや議論相手がどちらの派に属するか無自覚だと、議論はすれ違い時間を浪費する。

 

「役に立つから」派の近代日本のボスといえばおそらくかの福澤諭吉翁である。福澤翁は「学問のすすめ」で、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと生来人間は平等なものだが、と前置きをした上で、にもかかわらず実際にはえらい人えらくない人富者貧者がいるのは何故かと読者に問いかけた。
翁は、世の中平等に作られているにもかかわらず実際はそうではない、それは何故かといえば、ひとえに学問のあるなしではないか、と説いた。
福澤翁は一方で、自らの生活すら成り立たせるのが危うい儒者がいることを指摘した上で、「学問に凝ることなかれ」としてあくまで実学、実際に役に立つ学問の必要性を打ってた。なおこの部分の認識が間違えてたらご指摘ください。あそこの二郎ラーメンおごりますんで…。

また、本間正人先生のご教示によれば、「役に立つから」派の代表にはジョン・デューイがいる。

デューイは、
<教育の主要な目標や目的は、教授することにさいしての教材を包含している知識の組織化された統一体と、あらかじめ用意された熟練様式を子どもたちに習得させることによって、子どもたちに対する未来の責任と生活上の成功を準備してやることにほかならない。>としている(『経験と教育』講談社学術文庫 p.18)。

 

さて、人間が学ぶのは「人間だから」派について述べる。 
「人間が学ぶのは人間だから」という立場は古代ギリシャに端を発する。

プラトンPlatonは『饗宴Symposium』の第8章で、人間が知恵を追い求めるのは愛を追い求めるのと同根で、エロスの精霊によるのだとソクラテスSocratesに言わせている(同掲書。光文社古典新訳文庫 kindle版 1328/3164あたり)
この「人間が学ぶのは人間だから」という立場では、学問の第一の価値は役に立つか立たないかにはない。完全ではない人間が、自分の持っていない、世界の真実や美を手に入れて、完全や永遠に近づきたいというのが学ぶ原動力なのである。


あるいは同じ「人間だから」派でも、論理を重視する立場についてはこうも言える。

学ぶことによって、神によって放り込まれたこの理不尽で不可解な世界が、決して神の気まぐれによって動いているのではなくなんらかの法則によって動いているのだ、という驚きと喜びを感じることができるのだ、と。

なお、この立場、論理を重視する立場の学求者は、「人はただただ神の御心に沿って生きるべし」という世俗の価値観とぶつかることがある。イギリスやアメリカには「タウンアンドガウン」という言葉があり、タウン=町とガウン=大学は往々にして相容れないものだったりする(山崎正和『文明としての教育』新潮社 2007年 p.113-114)。ここの部分の認識が間違っていたらご指摘ください。フィッシュアンドチップスおごります。

 

また、アメリカでも「男らしい男は大学なんかいかないで腕一本で働く」というマッチョな価値観を持つ人はいるし、日本でも地域によっては「高い金払ってこどもに学問つけて何になる」という価値観は存在する。
学問=役に立たない、という認識も世界中にあるのだ。

 

それでもなお「何故」を問い続け、答えを見つけることに喜びを感じる人々がいる。そうした人にとって、学問が役に立つか立たないかはたいした問題ではない。

人が何故学ぶのかについて、自分や議論相手がどちらの派閥に属しているのかを自覚した上で議論を眺めてみるのも面白いと思う。

 

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