〈ソフト・パワーとは何なのか。それは、強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的な理想、政策的な魅力によって生まれる。〉
〈ソフトパワーとは、自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力である。〉(ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー』日本経済新聞出版社 二〇〇四年p.10,26)
年末年始に10年来の疑問が解けそうになったので忘れないうちに。なお、あくまでも思考実験的なものであり、価値判断や現実論は切り離して書く。
「次の覇権国は中国だ」と語られて久しい。ぼくの10年来の疑問は、それに関することだ。
覇権国というのは、軍事力や経済力だけで決まるのだろうか。軍事力や経済力を越え、国や民族を越えて、人類共通、普遍的な価値観、コモンバリューやユニヴァーサルバリューみたいなものを提示できて初めて、その国は覇権国といえるのではないだろうか。だとすると、次の覇権国とされる中国は、どのような普遍的価値を人類に提供する/できるのだろうか、というのがぼくの疑問であった。
普遍的価値観。
例えばアメリカであれば“フリーダム” "民主主義”、欧州であれば“人権”とか“環境”、無くなったしまったがソ連であれば“平等”といった、いずれも「“ ”」付き(両手を頭の横に挙げて、人差し指と中指をクイクイッとまげてください)のものではあるがユニヴァーサルバリューを掲げているからこそ覇権を握れた、とぼくは考えている。
逆に言えば、経済大国、軍事大国であっても、ユニヴァーサルバリューを提示できなければ「覇権国」にはなれないのではないか、と考えたのだ。
中国が次の覇権国になるというならば、彼らが提示する/できるユニヴァーサルバリューは何か。
北京五輪のころからいう「One China」というのは国内には響くかもしれないが、人類普遍ではないし、「一帯一路」も価値観ではない。
経済や軍事といった、いわばハード・パワーだけ、ソフト・パワー無しで覇権国なんてなれるのだろうか、というのがぼくの10年来の疑問であった。
それを解く鍵が年末年始に手に入ったのである。
(続く。タネ本は『幸福な監視国家・中国』NHK出版新書ほか)