シンガポールの会議での稲田朋美防衛大臣発言が物議をかもしているとのこと。
檀上のフランス、オーストラリアの女性大臣について「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして全員がグッドルッキング(美しい)!」とスピーチしたそうな。
公式な場で容姿を云々するというのは非常にデリケートな話で、もしジョークにするなら相当の手練れでないと危険だ。古い例だがミッテラン元フランス大統領かベルルスコーニ元イタリア首相クラスでもギリギリ「エロじじい、しょーもない」という苦笑にもっていけるかどうかレベル。
公式な場で「私たちグッドルッキング」なんて発言すると、他人を容姿で判断する人物、特に女性を容姿で判断する人物ととられかねない。一言で言えば、「女性差別的」。
なぜこの「容姿」発言が問題かというと、性別、年齢、容姿という外的要因は原則として自分の力でなんとかできないものなので、自分でなんともできないものについてああだこうだいうのはアンフェアなのだ。たとえそれが賞賛であってもである。「ほめ殺し」なんて言葉もあるくらいで、賞賛は容易に攻撃に転じ得る。
あとですね、生まれた環境(実家が裕福だとかそうでないとか)、肌の色、出身国や出身地という自分の力でどうこうできないものを公式の場でどうこういうのは上品ではない。
それに対し、努力、勤勉さ、能力の高さなどは自分の力で変更できるとされているものだ(橘玲氏は反論するだろうが)。なので、そこに言及するのは不作法ではない。
日本社会は男性社会、もっと言えばオッサン社会で、「若い女のコ」がちやほやされる。
その中でのし上がってきた女性の中には、意識的にか無意識的にか「若い女のコ」ポジションをとりにいってオッサン社会の中で有利に立ち振る舞う人もいる。
自衛官が命を賭して身を捧げる安全保障の現場の視察にパステルカラーのスーツをチョイスし、一昔まえの芸能人のような馬鹿でかいサングラスをかけていくようなセンスというのは、「若い女のコ」ポジションで長年やってきたことを感じさせるがどうでしょうか。
日本のマジョリティーが女性のことを容姿しか見ていないオッサン社会であることは、女性が話題になるとなんでもかんでも「美人なんとか」と評されることでもあきらかである。「美人女将が案内する名門旅館」「美人秘書が明かす会社の秘密」とかなんとか、すべて内面の話ではなく外面の話ばかりだ。そうした「美人なんとか」というレッテルを発する側も受け取る側もそれをよかれとしてきたからこそ今もそれが続いている。
その昔、雑誌の見出しで「美人OL首なし死体」というのまであったという。どうやって美人とわかったのかは、いまもなお謎のままである。
関連記事