美しく歳を取るということープレジデント誌『セクハラにならない誘い方、口説き方』に想う。

Twitterで話題だったので怖いもの見たさで買ってみました『プレジデント』2017.7.31号。何が話題かと言うと「セクハラにならない女性部下の口説き方」という記事。

弁護士の監修がついているにも関わらず(いや監修がついているからなお)、読後感のたいへん悪い記事だった。

<上司が異性として興味を持っている部下に、いきなり1対1で夜の飲み会に誘うのは、後からセクハラとして認定されやすい。>(『プレジデント』2017.7.31号 p.55。以下同頁)と、冒頭の設定から今どきどうなのって書き出し。

そのあと続くのも、セクハラに認定されないためには<仕事にかこつけず(誘いの)声をかける>(カッコ内は筆者補足)、<(2次会には)コスパの観点から、ジョナサンやすしざんまいなどをお勧めしたい>、<事前にホテルを確保しておくのであれば、シングルとセミダブルの2部屋を予約する。この方法であれば、「別々の部屋に泊まろうと思っていた」と言い訳ができるし、口説くことに成功した場合はセミダブルの部屋を利用できる。>、<またチェックインする前に、一緒に近隣のコンビニでお酒を買うのも役に立つ。一般的に、2人でホテルの同じ部屋に入り、そこに一緒に買ったお酒を持ち込むという行為は、「合意の成立」を推認する重要は判断要素となる。>と常に言い訳、逃げ道を作りつつ、なんとかしてなんとかしようというセコい感じがあふれ出ている。なんていうか、「粗でなく野でなくひたすら卑」って感じだ。

 

こんなんだったらシンプルに、「惚れた!つきあってくれ!」と真正面から玉砕しにいったほうがいっそ清々しい。まあでも「プレジデント」編集部はそうは思わないからこそこの記事を載せたんだろう。よく載せましたねこんなの。

 

1か月ほど前に、「ちょいワルジジ」の勧めというのがちょこっと炎上した。
美術館に一人で来ているうら若き女性に、「この画家は長い不遇の時代があったんですよ」と付け焼刃の知識で声をかけ、オジさん好きの女子を“落とせ”というものだった。

「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ|ニフティニュース

この記事読んで思ったのが、もし自分が美術館好きの女子だったら、こんなことされたらブチキレるだろうなーってこと。知るべきなのは牛肉の部位じゃなく、恥だよねえ。

ある一定の年代以上の日本人男性には、どうもこういうところがよろしくない人がいますな。自分を安全圏に置きつつ、上から教えてあげる的な絡め手で、その気はないんですよという風をよそおいながらタナボタ的に性的関係に持ち込もうというイヤラシサがある。

そんなねー、タナボタ式にいい話が降ってきて、なにかあってももめずにあっさり相手が身を引いてくれるなんてないですよ、島耕作じゃないんだから。こういう記事読んで真似してもしうまく行かなかったら「ボクたちはみんな島コーになれなかった」という小説書いたりして。正直読んでみたい。

まあ「マンスプレイニング=女性に対して上から目線で教え導くフリをしてマウンティングする」って英単語もあるくらいだから、こういうヤな感じの男性ってのは日本だけじゃなくグローバルな存在なのかもしれない。ヤなグローバル化だな。

 

イヤなオッサンたちの話ばかりでは気分が悪い。

欧米だと、歳をとるなかで「人間として完成を目指す」「魂の成長を目指す」みたいなことを言う人がいるが、日本だとあまりそういうのはないのかなあ。もっとも欧米にも変なオッさんはたくさんいる。よその国の大統領の悪口を言うもんじゃありません。メイク・アメリカ・グレート・アゲイン。

なにはともあれ、否応なく大人の階段を上る40代男子(男子じゃないけど)としては、『プレジデント』誌の記事や「ちょいワルジジ」を反面教師として、どうやったらカッコいい大人の男性になれるか、どうしたら美しく歳を取れるかを研究したいところだ。

 

思いつくまま美しく歳をとったカッコいい大人の男性像を述べてみる。
まずは映画「セント・オブ・ウーマン」のアル・パチーノ演じるスレード中佐。盲目の元軍人なんだけど、若きレディを相手にタンゴを踊り、感謝祭の休暇中に自分の面倒をみるアルバイトの名門高校生を守るために格調高いスピーチをかます。スピーチのシーンは思い出すたびに涙が出そうになる。

 

映画「イル・ポスティーノ」で出てくる老詩人もカッコよかったなあ。ナポリ湾の島で、郵便配達人の青年と友情をはぐくむのだ。

実在の人物で言えば以前にお会いしたM教授も素敵だった。
IT分野の第一人者のお一人だが、自分の研究分野のことをキラキラとした目で雄弁に語り、若手の質問に真摯に答え、偉ぶるところはなく、60歳を過ぎてなお好奇心のかたまりのような方である。

 

スレード中佐と老詩人とM教授と、「プレジデント」と「ちょいワルジジ」との決定的な差は何か。それは、相手の肩書や属性によって態度を変えるかどうか、相手と対等に人間対人間として向き合うつもりがあるかである。

「セント・オブ・ウーマン」のスレード中佐は傲慢で威張り屋で嫌われ者だ。しかし自分と魂が触れ合った者に対しては、さえない高校生だろうが対等の存在と認める。逆に自分が認めぬ者に対しては高校生だろうが名門高校の校長だろうが容赦なく糾弾する。

「イル・ポスティーノ」の老詩人もまた、無学な若者であろうとそんなことは関係なく郵便配達人を友とする。
M教授もまた、相手が若者だろうと門外漢であろうと、分け隔てなく議論に取り組んでくれた。

それに対し、「プレジデント」の記事は、「部下」「若い女のコ」にはここ抑えとけばセクハラって言われないだろうという一種の卑しさ、相手を一個の人間ではなく部下や若い女性という属性でタカをくくるようなところがある。「ちょいワルジジ」も然りだ。

歳を取るのは簡単だ。だが、美しく歳を取るのは容易ではない。アンチ・エイジングだけではなく、ビューティフル・エイジングも大事なのだ。

あ、そういえば、美しく歳をとったカッコいい大人の男性がもう一人いた。高田純次氏である。
ちょいワルジジ」ネタが炎上したときにこんなコメントをネットで見かけた。

曰く、高田純次になら声をかけてもらいたい、「この画家の生涯、ご存じですか?ぼく、ぜーんぜん知らない」とかテキトーに声をかけてもらったら、心底シビれると思う。

心より賛同する。

付記)プレジデント誌の記事、気になってtwitterとかで評判をチェックしてるんだけど、その中で「メールで誘わないのは証拠を残さないためなんだろう」という指摘を見かけてさらに陰湿さを感じた。記事には「メールで誘わないこと」とかは書いてないけど、たぶんその指摘はあたってると思う。

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