人生のカベにぶつかり、まわり道することになった人へ。

「このまま働き続けたら家庭も身体も壊れてしまう。クビになってもいいから、このままの仕事の仕方はムリ、と上司に言おうと思う。

今までストレートでここまで来たけど、寄り道しても回り道しても自分の人生を優先させなきゃならない」

内容は少しぼかしてあるけど、そんな悲壮な決意のつぶやきを、あるときtwitterで見かけた。

 

「stop to smell roses, 道ばたのバラの香りをかぐために立ち止まれる、そんな人生をぼくは送りたいね」

知人のオーストラリア人が昔そんなことを言っていた。

無精ひげに襟元のよれよれのTシャツのくせに、なかなかいいことを言うと感心してからもう何年も経つ。

 

もし人生が旅ならば、最終目的地は、死だ。であるならば、あんまりストレートに旅路を急ぎ過ぎるのも考えものだ。

寄り道、まわり道に右往左往に一進一退、あっちでバラの香りをかぎ、壁にぶつかっては立ち止まって来し方行く末を考えたりしてせいぜい旅路を愉しみながらやっていくしかないんだろうとも思う。

 

実際、生きていればなんとかなることも多い。

そのときはまわり道に見えてもあとから考えるとあれが役に立ったなんて気づくことはざらにあるものだ。

スティーブ・ジョブズが大学の授業をドロップアウトしてからのめり込んだのが美しく文字を書く学問・カリグラフィで、その時にはまったく役に立たなかった美しい文字を書くというアイディアと技術が、10年後にマッキントッシュの字体を美しいものにしたのは有名な話だ。

いくらまわり道、寄り道をしたって生きていればなんとかなる、そんなことを古人たちは口ぐちに語っている。

古来ローマ人曰く、<生きているかぎり私は希望をいだく. dum spiro spero.>(柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』岩波文庫 2003年 p.104)。レバノンには<死んでないやつには、まだチャンスがある>ということわざがある(曽野綾子『アラブの格言』新潮新書 2003年 p.61)。

 

大学受験に失敗して浪人が決まったときに、同じく浪人が決まった友人Tが、水道橋の坂道を下りながら言った。

「現役で受かった奴らより1年長生きすればいいんだ!」。


それ以来、ぼくは人生でうまく行かないことがあるたびに、まわり道した分だけ他人より長生きして帳尻をあわすことにしている。
今のところ平均寿命より7~8年長生きすれば元は取れる計算で、最近では周囲からも「お前は長生きするよ」と言ってもらえるようになった。

 

なにかにつまづいてうまく行かないとき、人生でまわり道をすることが決まったとき、まだ見ぬ友よ、どうか絶望しないでほしい。
肩の力を抜き、お茶でも入れて、「そのぶんひとより長生きすればいっか」とつぶやいてみてほしい。

そう思う人が増えれば増えるほど、過剰な緊張に満ち満ちた日本社会ももう少しリラックスしてイージーゴーイングな生きやすい世の中になるんじゃないだろうか。

友人Tの提唱した「うまく行かないときはそのぶん長生きすればいい」というアイディアはぼくのまわりでも少しずつ広がっている。このアイディアがこのままどんどん広がって、みんながそんなスタンスで人生を送れるようになったら、どんな社会が生まれるか想像してみてほしい。

……そうだな、きっと、日本の平均寿命がますます伸びるのは間違いないな。
(FB 2017年8月7日を加筆)

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