日面仏、月面仏ー「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」のはざまで。

「明日死ぬかもしれないから、後悔しないよう好きに生きる!」。

医者稼業をやっていると時々そんな人に出会う。

その都度、そうですねと言いながら曖昧な笑みを浮かべる。

だが人生100年時代、明日死ぬリスクとともに、これから数十年「生きてしまうリスク」というのもある。

「明日死ぬかも」と言って大酒を喰らいタバコを吸いまくったりして不摂生をし、それも影響して病気となり闘病生活を送る場合だってある。

「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」の間を、ぼくらは生きているのだ。

 

禅の高僧が体調を崩し、死に瀕していた。

「お加減はいかがですか?」と尋ねられたその高僧はこう答えた。

「日面仏、月面仏(にちめんぶつ、がちめんぶつ)」
(末木文美士『『碧巌録』を読む』岩波現代文庫 2018年 p.155-170)

 

上掲書によれば、日面仏とは1800歳の長寿の仏、月面仏というのは一日一夜の短命の仏だという。

高僧がどういう思いで臨死の場で「日面仏、月面仏」と言ったかは不明だが、「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」を同時に背負う我々もまた、日面仏であり月面仏であるのかもしれない。

 

中国古典『荘子』逍遥遊編では朝菌(ちょうきん)や蟪蛄(けいこ)、冥霊(めいれい)や大椿(だいちん)の話が出てくる。

朝菌は朝の間に死んでしまうきのこ、蟪蛄は蝉でともに短命。冥霊は500年を春とし500年を秋とする大木であり、大椿は8000年を春とし8000年を秋とする大木である。
(森三樹三郎訳『荘子Ⅰ』中公クラシックス 2001年 p.7)

古代人から見れば現代日本人は永遠に生きるといってもいいほど長寿だ。

しかしまた、新型感染症や事故などであっという間に世を去るかもしれない運命でもある。

我々はまた、朝菌であり蟪蛄であり、そして同時に冥霊であり大椿であると言えよう。

 

新しい年が始まった。

2023年もまた、「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」の端境を、よくわからぬまま歩んでいくことになるのだろう。