Egalitarianのパラドックス~「官僚が金持ちの息子の名誉職になりつつある」

こんなツイートを見かけた。

いろいろ思うところがあるので備忘録として。自ツイートのコピペなので論理の飛躍や検証の薄さはご容赦ください。

・「Egalitarianのパラドックス」仮説を考えたのでご報告する。

アメリカ社会の行動原理がLibertarianismならば日本社会の行動原理はEgalitarianismだ、とTさんが言った。

Egalitarianismにもとづきこの2,30年日本社会はいわゆる「既得権益」を片っ端から引き剥がしてきた。 仮説だがきっかけの一つは

・1998年の大蔵省接待汚職事件(「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」)ではないか。 ああしたことをきっかけに、「何かあいつらオレたちの知らないところでウマい汁吸ってやがる」という国民感情が沸騰し、官僚バッシングが始まった(仮説。良い悪いの価値判断はしない) だが、明治以来、

 

・「持たざる者が懸命に努力して成り上がる」パスウェイの一つが「官」だった。天下りシステムは非常に非効率的だが、「成り上がり」を支える仕組みの一つだった。 天下りの監視を強め、現役官僚の給与を据え置き、下げ、いまだに「カチカチ」の風呂に象徴される劣悪な待遇を放置した結果、

・官僚が「実家の太い」人の名誉職となったとすれば何が起こるか。

実家が太く優秀な官僚の子ども時代を想像すると、多くの人は受験ゲームだけに専念できる環境だったのではないか。「努力すれば報われる」世界だ。

「努力すれば報われる」世界では、「報われていない者は努力していない」と解釈される。

・もし「努力すれば報われる。報われない者は努力していない」という価値観を持つ者が官界というルールメイキングの世界でマジョリティになればどうなるか。

そこにノブレス・オブリージュ精神が無ければ、Egalitarianismに反するルールが増えるだろう。

かくてEgalitarianismにドライブされたバッシング

・に端を発したここ2,30年の「既得権益」剥がしが、反Egalitarian的社会をつくる。これを「Egalitarianのパラドックス」と呼ぼう。

 

同様に、Egalitarianismに基づき国立大学の学費は私立に近づけられ、アカデミズムの雇用も破壊された 成り上がりパスウェイとして 「末は博士か大臣か」はもう成り立たない。

 

・令和の世に、成り上がりパスウェイとして残されたのはボカロでコツコツと打ち込み音楽をやってYoutubeとかに上げるかスポーツか。スポーツも金かかるしな。

あとは回転寿司にワサビ乗せたりして迷惑系YouTuberとしてバズるのを狙うとか。

This is「東京ブロンクス」。やれやれ。