目からウロコ、というのはこのことだろうか。
〈兆児 外国人のいるパーティで日本人はひたすら黙っていると言われています。語学力の問題もあるけど、そもそも……。
孝 ネタがない。
兆児 パーティやセミナーに出るのなら、相手に認められるくらいの小ネタを用意し、英語で話せるよう暗誦しておく。そして、ここぞというチャンスがあったら、そのタイミングを逃さず小ネタを披露する。こういうトレーニングが重要です。内容がなくてもいい、何でもいいから手を挙げてしゃべるというのは、ちょっと違いますね。〉
(齋藤孝+斎藤兆児『日本語力と英語力』中公新書ラクレ2004年p.128)
日本語での雑談はそれなりに楽しく過ごせるが、英語での雑談はそうでもない。
母語というのはそういうもので、英語での雑談は楽しめない。これはひとえに英語力の問題かと長年思ってきた。
なんであれ楽しく過ごせることに越したことはないから、英語での雑談を楽しめるようになりたい。そろそろいざというときのために大事に保管しておいた『家出のドリッピー』を開封するかと思っていた矢先、冒頭の文章と出くわした。
高校のころ、英語のM先生がこんなことを言った。
「君たちね、“Communication”を“情報伝達”と訳すのは間違いだ」
では何と訳すのが正解なのかは聞き忘れたが(なにしろ夏のプールのあとの授業だったのだ。スイマーと睡魔は似ている)、コミュニケーションが必要な情報の伝達だけではなく、言葉でのじゃれあいとかともに楽しく時を過ごすことを含むのは今ならわかる。
「毎日暑いですね」「ほんとにね」という挨拶も、伝達される新規情報はほぼ1ビット(暑いを1、寒いを0とした場合)だが、人間にとっては大事なコミュニケーションだ。
冒頭の話に戻る。
雑談とは何か。
雑談とは、「小ネタ」のぶつけ合いである。
そう定義すると、今まで自分自身が英語での雑談を楽しめなかった理由が明確になった。
準備不足である。
英語での小ネタをいくつも用意して、それを引っ提げて会場に向かうということをしなかったのが悪かった。武器も持たずに合戦場に丸腰で出ていけば、指をくわえて見ているほかはない。
日本語の雑談は無意識にこれをやっているのだろう。
プロの世界でも、南海キャンディーズの山里さんとかも「次の番組ではこういうツッコミフレーズを使おう」とか「今日の番組の返しではこういうフレーズ使うべきだったな」とかをネタ帳に書きためてるそうで、その積み重ねが今のスターダムにつながってるんだろうなと。ネタを溜めとくの大事。
というわけでこれから英語での小ネタを準備していくことにする。
「7月5日に地球が滅亡する可能性があるってホントかい?」
「本当さ。どうして7月5日だけが例外だって思うんだい?地球が滅亡する可能性は、365日毎日あるじゃないか!HAHAHA!)
↑アレクサ、英訳して
