「〇〇という論文があります!」という人へ。

コロナ禍でマスク着用やワクチン接種をネット上でお勧めしていると、「◯◯という論文がありますよね。知らないんですか(笑)」というような言葉をかけられることがある。

理にかなった反論もあるが、多くの場合は思い込み先行のいわゆる反マスク、反ワクチンの方たちだ。

こうした反マスク反ワクチンの人たちが知らないのは、世の中探せばたいていのことは質を問わなければ論文になっていることだ。
たとえばAという主張する論文があり、それに対する反論をする論文Bがあり、AとBを比較した論文Cがあり、という形で科学は進んでゆく。

その研究分野が盛り上がってくると、「Aだ!」「Bだ!」とさまざまな主張が飛び交い、「ほな確かめてみまひょ」と追試験が行われたり「nが少ないからもっと数集めてみました!」と規模拡大した論文が出たりする。

そうして主張Aを補完する論文A'や、Bを補完する論文B'や、Cを補完する論文C'も出てくる。

AとBを比較した論文Cや、A'とB'を比較した論文C'(理想的にはAとA'とBとB'を比較したものか)が出てきて、さらにはCとC'を比較した論文Dもあり、そうやって右往左往行きつ戻りつしながら科学は真理に近づく。少しずつ。

右往左往行きつ戻りつして、「だいたいここらへんが科学的真理っぽいですなあ」とコンセンサスが作られていくのだ。

だから「◯◯という論文もあります!」とか言われても、ひとまずは「so what?」と言わざるを得ない。 質が悪くてもよければ、探せばたいていのことは論文になっているから、論文があるだけでは科学的真理かどうかわからないのだ。

そういう科学的論証の“お作法”がわからないと、簡単にだまされてしまうから注意をしたほうがよい。

古人いわく、<一疑一信して相参勘し、勘きわまりて知をなさば、その知はじめて真なり>(洪自誠『菜根譚』)。

疑ったり信じたりして考え抜いて、考え抜いて最高に達してはじめてその知は真なるものになるという意味だという。