「ナンて、巨大すぎませんか」問題について考える。

(医院を引き継いだ話は一回お休み)

ああもしかして、ぼくの認識は間違っていたのかもしれない。唐突に天啓は訪れた。

うまく書けるかわからないがやってみる。

みんなは、インドカレー屋に行くときに何を目的に行くのだろうか。
カレーに決まってる。100人に聞けば100人がそう答えるだろう。
キーマカレー、チキンカレー、バターチキンにエッグカレー。ほうれん草のカレーにシュリンプカレー。スパイシーで魅力的な響き。


では、質問を変えてみよう。ナンて、巨大過ぎませんか。
巨大なナンに対し、カレーはちんまりとした器で提供される。
もっとカレーをたっぷり出していただけないだろうか、なんだったらナンはちょこっとで構わない。そんなことを思ったりはしませんか。今日の今日まで、ぼくはそう思っていた。

 

先日、ふらりと入ったインド料理店での出来事。

いつもの通り、巨大なナンがテーブルの中央に置かれ、その両脇にこじんまりと金属の丸い器に入ったカレーが二つ置かれた。これではまるで、ナンが主人でカレーが従者だ、と思ってはっとした。

いつもの通り、だと!?

 

そう、どの店でも巨大なナンが真ん中に置かれる。

と、いうことは、もしやインド料理の料理人にとって、ナンこそが主菜、メインディッシュで、カレーは添えものなのではないだろうか。
日本料理でいえば、お米と漬物、みたいな関係性。
どんなに漬物が美味かろうと、「漬物だけ持ってこい、なんなら米はいらない」なんていうガイジンがいたら変なように、インド料理人にとって、カレーはあくまでナンを美味しく食べるための添え物なのではないだろうか。


ジャマイカ系イギリス人作家、ゼイディー・スミスの小説「ホワイト・ティース」の中で、「美味いナンを焼く技術を持ったナン職人は、一生喰うに困らない」みたいな記述があった。
インド料理人は、とにかくナンを存分に味わい評価して欲しい、と願っているのではないだろうか。

 

そう言えば、ピザ職人が本当に味わってほしいのも具(だけ)ではなく、生地のところだと聞いたことがある。だからこそ、ピザの耳の部分、イタリア語で言うところの「コルニチョーネ(額縁の意)」を残してよいかが論争になる(参考文献 『めしばな刑事タチバナ』18巻)。

ナンとは何ぞや、インド料理において、ナンはメインなのか添え物なのかという疑問に対し、消息筋から多くの情報が寄せられた。

 

「インドでは高級料理店でしかナンは提供されなかった。日本人向けのマーケティングでは」(Y氏)
「インド北部ではナンやチャパティが出されるが、南部ではコメ」(M氏)

「ナンは日本人が焼き釜を改良してから高級店で出されるようになったという説も」(H氏)

「ナンは焼き釜がないと作れないので、インドでは高級品。インドにおけるカレーは、日本における味噌汁的位置づけ」(A氏)

総合してみると、ナンというのはもともと高級品だったようだ。高級品扱いだったからこそ客へのサービスとして巨大化の一途をたどったのだろうか。情報をお寄せくださったみなさまに感謝申し上げる。

 

先日のインド料理店に話は戻る。

ナンとは何なんだ、ナンとカレー、どっちが主役なのだ。

思い余ったぼくはいてもたってもいられず、思わず立ち上がって厨房に向かい料理人に聞いた。
「インド人にとって、ナンとカレー、どっちが主役でどっちが添え物なの?!」
厨房のインド人は慌てずこう答えた。
「チョットマッテテ」
そういうとインド人シェフは店員全員を呼び集めた。

店のあちこちからわらわらと出てきたインド人店員が、いっせいに踊り始めたのはもちろん言うまでもない。
(FB2017年10月27日を加筆再掲)

 

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