原作と実写の幸せな出会いと別れ~『納棺夫日記』と『おくりびと』

「富山のね、指定されたお店に少し遅れて行ってね、お店の人に案内された部屋のふすまを開けたら、畳の上にスッと背筋を伸ばした青年が正座していた。
青年は深々とお辞儀をすると『先生、お忙しい中おいでいただきまして、ありがとうございます』と言った。
それが本木雅弘さんだったんだよね」
 
原作と実写の、幸せな出会いと別れと言えば『納棺夫日記』と『おくりびと』だろう。
 冒頭の話は、『納棺夫日記』作者の青木新門氏の講演で聞いた話だ。ずいぶん前の講演の記憶なので、間違えていたら直す。
講演は東大で行われた死生学講座の一環だった。
キリスト教のホスピス、浄土宗の僧侶たちの勉強会、終末期医療の現場など、あの頃はあちこちに出かけていって話を聞いた。
日本の医療のあるべき姿を考えるには、制度の下にある日本の死生観を知らなければならないと思ったからだ。
 
本木雅弘氏は『おくりびと』についてこう言っている。
〈もともと、この『おくりびと』は、20代の頃に元納棺師の詩人、青木新門さんの書かれた『納棺夫日記』を読み、生と死について考えたことをきっかけに生まれました。
で、まずはそれ以前、私は写真家の藤原新也さんの『メメント・モリ』を読んで強い影響を受け、生と死の淵を覗きたくてインドを旅したことがあったのです。〉(『本木雅弘×真鍋大度 仕事の極意』株式会社KADOKAWA 2016年 p.34)
〈私たちの普段の生活では、死はタブーとして人々の目から隠され、生だけが強調されています。でも藤原新也さんが「本当の死が見えないと、本当の生が生きられない」と書かれていたように、生と死は本来、同じ土台の上に乗っているもので、その狭間に思いを馳せることは、人の営みにとって案外重要なことだと思ったのです。
そのことをインドで実感した私は、帰国した後、知人から薦められた『納棺夫日記』を一気に読み、さまざまなカタチで命の宇宙がつながっていく驚きと納得と感慨を抱いたのです。その後、青木さんとは何度かお話を伺う機会もできました。〉
(前掲書p.35-36)
 
映画『おくりびと』のクレジットには青木新門氏の名前はない。
これは宗教や永遠について書かれた『納棺夫日記』第3章「ひかりといのち」の部分が映画では触れられておらず、〈職業としての「納棺夫」の側面しか伝えきれていない(略)〉と青木氏が感じてクレジットを外してもらったのだという(新潮45eBooklet 教養編9 「『おくりびと』と『納棺夫日記』 世界が日本の死を理解した日」kindle版73/155)。
 
にもかかわらず、青木氏と『おくりびと』製作陣とは長年にわたり互いをリスペクトし続け、折に触れて青木新門氏は『おくりびと』について、本木氏や製作陣は青木新門氏や『納棺夫日記』について愛情を込めて言及している。
こういった形の、幸せな原作と実写の出会いと別れもあるのだろう。