「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本」であり「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間」だというお話。

「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本」であり、「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間」だ、という(小泉信三『読書論』岩波新書kindle版 第一章。後者の言葉は工学博士谷村豊太郎氏のものとのこと)。
 
なんでもかんでも「すぐ役立つ知識」「すぐ役立つ人材」を求めてしまう昨今だが、小泉信三氏が正しければ、そうしたものや人はすぐ役に立たなくなってしまう。
本や人材が必要となる特殊な局面や環境ががらっと変われば、あっという間に役に立たなくなってしまうということだろう。
 
実際問題として「すぐ役立つ知識」を身につけ「すぐ役立つ人材」にならなければ世を渡っていけない。
だが、心の一方で「すぐ役立つ知識はすぐ役に立たなくなる、のではないか」「すぐ役立つ人材はすぐに役に立たなくなる、かもしれない」と思っておくのは重要かもしれない。
 
友人Aから薦められた『一神教と帝国』(内田樹・中田考・山本直輝著。集英社新書)に面白いことが書いてあった。
若きムスリムの間では、日本マンガが深く愛されているとのことだ。彼らはマンガを読むうちに、マンガで日本語すら覚えるという。
トルコの大学で教鞭をとっている山本氏は、イベントでいきなり「うまくやっているようだな」とトルコ人学生に日本語で話しかけられたとのことで、これは『NARUTO』のセリフだという(前掲書p.53)。
 
マンガという、かつて「役に立たない」代表とされたもので今では異文化コミュニケーションが取れる。
「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる、かもしれない」と思いつつ、「すぐ役に立たないものも、あとで役に立つ、かもしれない」と思って何事にも接するべきだろう。
もっとも、すぐ役に立たない知識だからといってあとで必ず役に立つとはまったく限らないわけではあるが。