2018年の日本に必要なのは、もしかして落合イズム、魔術師本人ではなく「魔術師の父」パパ落合、別名ノビー・オーチの精神のほうではないだろうか。
仕事はじめの朝、頭に浮かんだのはそんなことだった。
知ってる人は知っている、知らない人はそうでもない有名人と言えば落合信彦氏だ。70年代後半から80年代にかけて、一部の若年男子の心をわしづかみにし、精神の成長に多大なる影響(良いか悪いかは別として)を与えた人物である。
そんなの知らないと言う人も、「アサヒスーパードライのCMに出ていた国際ジャーナリスト」と言えばなんとなくわかるかもしれない。「カロリーメイトのCMに出ていた小説家になる予定の椎名桜子」ではない。
なぜ落合信彦氏があの時代、若年男子に強烈に支持され、そしてひっそりと「触れられたくない過去」になったのかはだれかが公正な評価をしてくれるだろう。後者についてはどうやらちょっと「盛り過ぎ」だったせいらしいが。
前者の、落合信彦氏のどこが若年男子のハートをとらえたかということについて、
・ネットのない時代に、一般人がタッチできない内部情報/内部人脈に精通(している印象を与えることに成功)
・「農協ツアー」に代表されるような国際社会との接触の仕方に戸惑う日本人のコンプレックスを刺激
・過剰なまでの自信とダンディズム、一種のストイックさ、選民意識が中2ごころにフィット
などというところだろうか。
こうしてあげてみると、若き日の伊丹十三とその時代との関係性にほんのちょっとだけ似ている気もする。
さて、2018年の日本は長く続く社会的閉塞感、右肩下がりの気配への不安感の呪縛から解き放たれるべきである。この閉塞感を打ち破るものこそ、パパ落合の落合イズムにほかならない。
もちろん、奥菜秀次氏の著作による落合信彦批判については存じ上げている。
奥菜氏の著作『落合信彦 最後の真実 改訂新版』(鹿砦社 1999年)によれば、落合本は<プロレス>(同書p.13)であり、落合氏の出世作『2039年の真実』はマイケル・キャンフィールド著『クーデター・イン・アメリカ』と“大変非常によく似ている”(婉曲表現)らしい(同書第二章)。また、ナチス残党を描いた『20世紀最後の真実』で出てくる「エスタンジア」は、チリの秘密警察が反体制的な人々を連行して拷問していた「コロニア・ディグニダート」であり(同書p.135)、UFOはナチスの秘密兵器であるという筋書きはカナダのネオナチ団体の『UFOはナチの秘密兵器か?』(『UFO's NAZI SECRET WEAPON?』)という本と"大変非常にものすごくよく似ている”’(婉曲表現)のだそうである(同書第5章)。
後年、ぼくも元モサドのエージェント、ウォルフガング・ロッツが書いた『スパイのためのハンドブック』(ハヤカワ文庫 1982年)を読んでいて既視感を覚えた。おそらく昔読んだ落合本が"大変非常にものすごくよく似ていた”のであろう。
だが、それがなんだというのだ。
満ち足りた豚になるな、飢えたオオカミでいろ。
現状に満足するな、さらなる高みを目指せ。
日本のムラ社会に唾を吐け。
誰も見たことのない、大風呂敷を広げろ。
世界を相手に、裸一貫でハッタリをかませ。
「教育とは、学校で習ったことを全て忘れたあとに残るものである」という名言になぞらえて、「落合イズムとは、落合本に書いてあったことを全て忘れたあとに残るものである」と定義したい。
まったくの私見だが、今のベンチャー企業のトップや企業・官庁の中堅どころには、若き日にパパ落合の薫陶を受け、落合イズムを心の底に宿したものが少なくない気がする。「俺、落合信彦好きだったんだよねー」とオープンに言えない分、影響の根は心の内側に伸びているかもしれない。
フェイクニュースとブラフに翻弄されるナイーブなメンタリティの日本人が勝ち組クラブに入るために必要なものこそ、落合信彦イズムだ!
と、モサドの俺の友人も国際電話で言っていた(嘘)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
↓ブラフは無しの健康本です。
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