全米オープンに寄せられた感想「審判ももっと空気読めばよかったのに」に思う雑感。

テニスのことも大坂ナオミのこともなにも知らないし中継も見ていないんだけど、試合やブーイングについてのネット上のコメントで

「審判ももっと空気読めばよかったのに」

というものを見かけて立ち直れないほどの衝撃を受けた。立ち直るけど。

「法」や「ルール」より「空気」を優先して戦艦大和を沈めておいて(山本七平「空気の研究」)、日本人にはまだこういうこと言う人いるんだなあ、と。

ヨーロッパ人はルール・メイキングしようとする傾向にあるが日本人は「空気」や「雰囲気」をルールより上位におく。
長年連れ添った夫婦の食卓では「あれ取って」でなんでも通じるように、同質性が高く共通体験が豊富なら「空気」でものごとは運営できるが、異質性・多様性の高い集団では「空気」に頼っては混乱するばかりだ。こちらの「空気」とあちらの「空気」が同じものとは限らないからだ。

奈良の古寺を訪れたとき、高僧が言った。「宗教交流でイスラムの方とかキリスト教の方とかもようくるんですが、お別れのときにいつも『平和を!』と言うて別れるんですな。そのたびに思うのはわたしらが言ってる『平和』とこの人らが言ってる『平和』は、果たして同じものをなんやろか、と」。

多様性のある社会を目指すなら、あるいは価値観の違う人たちと渡り合うつもりなら、「空気」に頼らず全てを言語化して一個いっこルールを作って厳格に運用しなければならない。それを怠るなら、決してうまくはいかないだろう。
「なんでもかんでも言わないとわからないのか」という叱責は通用しない。なんでもかんでも言わないとわからないのだ、文化が違うから。
それはとてもとても面倒くさくて大変な行為だが、やっていくしかないんだろう。
伝わるかなー、この「空気」感。

 

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