続・オシャレなお店はなぜアクセスのしにくいところにあるか問題

オシャレなお店はなぜアクセスのしにくいところにあるか問題。

オシャレなお店というのはちょっとアクセスの悪い場所にあることが多いが、その理由やメリットを先日考えた。
この話の大前提は、お店側の資金やマンパワーに限りがあるという点。

つまり、アップルストアはオシャレだけど他店から比べるとほぼ無尽蔵の資金とマンパワーを投入できるのでこの文脈には乗らない。

先日発見したのは、アクセスの悪い場所にオシャレなお店を置くと客の選別ができるということだった。つまり、アクセスの悪い場所まで出かけてオシャレになろうという根性のあるお客のみを相手に商売ができるので、有限なリソースを有効に使うことができるということだ。

 

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蛇足だが、レストランの場合には、良い食材が手に入りやすい農村に近い場所に店を構える場合もある。山形県のアル・ケッチァーノは有名だ(行けなかったけど)。
フランスなんかだと農村にある有名レストランにパリから出かけていって、ワインでいい気持ちになったらそのまま二階で泊まっていけるような、宿泊施設付きレストランもあるという。

また、人間は、容易に手に入るものにはありがたみを感じず、手間暇かけて手に入れたものはありがたがる習性を持つ。
ほどよくアクセスの悪い場所にあるオシャレなお店を探し出してわざわざ訪ねた場合、たどりつくまでに払った労力のぶん、よりオシャレに感じることはありうる。

蛇足の蛇足だが、心理学者エリオット・アロンソンらのこんな実験がある(出典・マシュー・サイド『失敗の科学』ディスカヴァ―・トゥエンティワン 2016年 p.104-106)。
大学生を二つのグループに分けて、片方には性に関する破廉恥な文章を人前で音読させる。もう片方には何もさせない。
そのあと性に関するディスカッションを録音したテープを両方のグループに聞かせ感想を求める。
恥ずかしい文章を音読させたグループの人たちは自分たちの聞いた議論について「深遠で率直な議論だ!感動した!」というのに対し、何もしなかったグループは「冗長で退屈な議論だ」とこきおろす。

だが面白いことに、両グループが聞かされた議論の録音内容は同一のものである。 なぜ同じ議論を聞いたのに評価が180度違うかというと、恥ずかしい文章を音読するというタスクを課されたグループは、「あんなに恥ずかしい思いをしないと聴けない議論なんだから、とても価値あるものなはずだ」と思いこむからだ、と実験者たちは結論づけたという。
単純な話だが、手に入れるまでに労力のかかるもののほうがありがたがられるわけだ。


蛇足の蛇足の蛇足だが、アメリカの有名大学のメインストリーム、いわゆるスクールカースト超上位の学生だけが入れるアルファとかカッパとかスカル&ボーンとかの秘密グループに入るには、ずいぶんとえげつない儀式をやらされるそうだけども(ここに書くのもおぞましい)、ああいうのも「これだけのひどい目に耐えたんだから、このグループのメンバーになれる/いられることはとても素晴らしいことだ」と思いこませる効果もあるんでしょうかね。

オシャレなお店の場所はわかりにくいなどとうだうだ書いていたら友人Mからこんな質問を受けた。
「病院の場合はどうなの?アクセスのしにくいところのほうがありがたみあるのかな?」

まあ病院の場合はオシャレさが売りではないけども、瀕死の母のために心臓血管外科の名医を求めて車で旅をする浅田次郎の『天国までの百マイル』が、もし『天国までの徒歩100歩』だったらありがたみがないよなあ。
ちなみにあの小説のモデルは鴨川の亀田病院で、小説だとサン・マルコ病院って名前なんだけど、亀田病院に見学に行くと病院の近くにサン・マルコってパン屋かなんかあって浅田次郎、芸が細かいなーって感心したりする。
あと『天国までの百マイル』、今は亡きナンシー関が「なんでマイルやねん」って言ってたなー。RIP。

 

いずれにせよ病院はオシャレさが売りではないからアクセスがいいところがいいけど、欧米でやっている、世界のセレブ相手のデトックスとか美容とかアルコール・ドラッグ離脱を目指すような自費診療クリニックとかは、アクセスの多少悪いスイスの湖畔とかにあって「わざわざ感」を出したりしてる気がする。
日本でも、天才外科医ブラック・ジャックが東京駅の駅前の一等地で開業したりしてるのはイメージしにくいけど、あれは保険診療じゃないしなあ。

オシャレなお店は場所がわかりにくいという話だけに、文章のゴールもわかりにくくて見つけられませんでした。そんじゃーね!

 

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