岩田先生の言ってることはわかるが、やり方がエキセントリックだという批判をする人は、グレタさんのときも言ってることはわかるがやり方がエキセントリックだと批判したのだろうか。あるいはグレタさんは手放しで絶賛して岩田先生には「あのやりかたはちょっと…」といったのだろうか。
ぼく自身は岩田先生の動画は刺さったがグレタさんには抵抗があった。その差はなんだろうと考える。
論理的な言動にあこがれる者として、できるだけ自分の中で整合性や首尾一貫性を持ちたいと思ってるんですが、
・グレタさんのときには、「10代の子どもが言っているからと言って無視するのはおかしい。誰が言っていても正しいことは聞くべき」
「緊急性のたかい訴えの場合に、激しい言動を非難するのはトーンポリッシングでよくない」
という論調が主流だったかと。
・yes晒すクリニックの院長センセのときには、「実名だろうが匿名だろうが正しい情報は正しい。誰が言っても正しいことは正しい」
・岩田健太郎先生のときには「感染症の専門家だから信用すべき」、「正しいことを言っているが、言い方やり方がおかしい」
それぞれの局面ではよくわかるのですが、上記3つの意見を整合性を持って自分の中に落としていくのは難しいな、と。
僕自身は、やはり誰がどの立場で言っているかはある程度判断材料にすべきと思っています。
また、言い方やり方もベターなやりかたとそうでないやり方があると思っています。
ただ、であるならば、グレタさんのときに「緊急事態だから言い方やり方を批判するのはトーンポリッシング」と言っていた人たちは、やはり今回の岩田先生の言動を非難するのはおかしいのではないかと思うわけです。だって緊急事態だし。
誰の言葉か忘れたけれど、「あなたと私の意見が違うのは全く構わない。だが、あなた自身があなたの意見と一致しないのは受け入れられない」という言葉が頭をよぎります。
自分の中で整合性を保つというのは難しいことだし、バイアスを自覚しながら生きていくのもまた難しいことであるなあ。