積ん読とトキメキと(その7)

大空のもとに生きる人は、空の広さを知る。たとえその空を飛ぶことはなくとも。
そびえたつ山のもとに生きる人は、山の高さを知る。たとえその山に登ることはなくとも。
青い海のそばに生きる人は、海の深さを知る。たとえその生みに潜ることはなくとも。
そして高く積まれた本とともに生きる人は、知の世界の広さ高さ深さを知る。たとえその本の山を読み切ることはなくとも。

 

先日友人Uと対話して思い出したことがある。読売新聞のナベツネ氏の逸話だ。
何で読んだのか忘れたが、ナベツネ氏の部屋の机の上には時々、小難しい哲学の本が広げてあるのだそうだ。
訪れた者が、「ずいぶん難しい本をお読みになるんですね」というと、ナベツネ氏はこう答えるという。「こういうのはな、分かんなくとも時々読んでおくものだよ」。

 

人類の知的文化遺産と呼ぶべき名著や大著は、そこにあるだけで人を謙虚にしてくれる。歳を取るにつれ高くなった鼻っ柱を、時々ぽきんと折ってくれる。世知にまみれ、なんでもかんでも分かったような気になって訳知り顔で世渡りをしている者に、冷たい水をぶっかけてくれる。
お前にはまだまだ知らないことが、山ほどあるんだぞと日々身をただしてくれるのもまた積ん読の効用である。そうした効用は、お手軽ムック本や「10分でわかるなんちゃら」みたいな本では得られない。

 

そこにあるだけで己の身の小ささを思い知らせてくれ、読まなくても見なくてもそこにあるだけで広く高く深い未知の世界があると伝えてくれるというのが積ん読の価値の一つだ。同じように、そこに存在するだけで価値があるという意味では、本屋や図書館、美術館にライブハウスも同じかもしれない。

 

積ん読により広く高く深い未知の世界がまだまだあるという事実に時折触れることは、人を傲慢という罪から解き放ち、謙虚さという美徳をもたらす。
いずれにせよ、ナベツネ氏が謙虚か否かは関係者の報告を待つばかりである。
(続く)

 

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