積ん読とトキメキと(その9)

〈電子書籍も紙と変わらず、積ん読しまくっている。物理的積ん読は、生活空間に置かれた本の存在によって無言の圧力を感じられるのだけど、電書の場合単なるデータだ。時間が経つにつれて、買ったタイトルも無料のタイトルも等しくリストの一部となって、クラウドの彼方へ消えてしまう。
 それでも買ってしまうのは「読みたい!」と感じた衝動を大切にしたいからだ。衝動は、紙も電子も関係なくやってくる。それはポジティブな予感とも言い換えられるだろう。
 「この本が、自分に未知の何かを教えてくれる」「特別な感情を湧き上がらせてくれる」「ここでないどこかへ連れていってくれる」「もしかしたら自分を変えてくれる」「あるいは成長させてくれる」そういったポジティブな予感の集積によって、本は積み上がっていくのだ。(略)〉(施川ユウキ『バーナード嬢曰く。②』株式会社一迅社 kindle版p.47/142)

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こちらが『バーナード嬢曰く。』
積ん読派とトキメキ教の攻防について書いている。
 
究極的にこれは、生きる教義の違いである。
積ん読派は、「いつか」読むという未来への期待、ここではない「どこか」へ連れていってもらいたいという思い、私ではない「誰か」への興味で生きている。
対してトキメキ教徒は、「今」、「ここ」、そして「私」がトキメくかどうかが基準だ。
 この教義の違いは、いかんともしがたい。
だが、互いに教義は違えど、共存する術を探さなければならない。別のカード、アプローチが必要だ。
 
積ん読ばかりでなかなか読めない、という人生相談に対し、中原昌也氏がこんな言い方をしている。
〈(略)本は眺めるだけでも意味がある。心が豊かになる。それが本の良いところです。べつに読みたい本を買ってきて、積んでおくだけでもいいじゃないですか。壁の絵や花びんの花と一緒ですよ。〉(『中原昌也の人生相談』株式会社リトルモア 2015年 p.21)
積ん読派にとっての、一面の真実と言えよう。積ん読派にとって、本はトキメキの対照なのだ。
 
ご存知の方も多いが、実は積ん読派とトキメキ教徒は、すでにアメリカで一戦やらかしている。
ことの次第はこうだ。
(続く)

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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  • 作者:高橋 宏和
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