積ん読とトキメキと(その4)

〈「あなたなら、たとえばうちの四十年史を担当されたとして、どういう本を造られますか」
おれはまた天井を見上げてからゆっくりと答えた。
「十ポイント、写植の十四級の大きさですね。歯送りをゆったりと取って行間は全角アキ。四十一字詰め十五行。余白も広く取ります。“のど”の余白、のどというのは、本を開いた合わせ目と、第一行目までの間隔ですが、これを狭く。天の余白、小口の余白、地の余白と、順々に広く取っていきますね。日本ではそんなことをしている版元はほとんどありません。頁の中央に、でんと版面(はんづら)を持ってくる。そうじゃないんです。頁の下の方の余白が一番広く取られるべきなんです」
話しているうちに、段々うっとりしてきた。
「欧米にはビブリオグラフィ、書誌学という確固たる学問があります。いま言いましたレイアウトにしても経験、技術上のことを踏まえて、一番美しい形へと淘汰されたものです。その詳細についていちいち話してますと、二ヶ月くらいかかってしまう」
「それは困る」
千代理事が笑った。
「私も困ります。化けの皮が剥がれるかもしれない」〉(中島らも『永遠も半ばを過ぎて』文春文庫 1997年 p.152)

 

トキメキの魔法によって絶滅の危機に瀕している積ん読派について書いている。

 

トキメキ軍総大将こんまり氏は、本は文字を書いた紙を束ねたもので、その情報を摂取することが目的、と言った。しかしそれは本の価値の一面に過ぎない。
文字情報というソフトウェア的要素と、装丁やフォントや紙質やその他もろもろのハードウェア的要素が渾然一体となったものが本だ。

 

ハードウェア的な側面に関してぼくはこれ以上語るべきものを持たない。
しかしながら、うっとりするほど美しい本や、置いてあるだけでなんとなく背筋が伸びる本、書棚にずらっと並んでいるだけで眺めたくなる背表紙の本などなど、本は存在する物体として所有者に喜びを与えてくれるのは確かだ。
新潮文庫の濃いオレンジ色の背表紙が並んでいれば三島由紀夫好きかと思うし、早川文庫の薄い青色の文庫本が並んでいればSF好きかと思うだろう。経営者の書棚にダイヤモンド社の赤い背表紙のハードカバーが並んでいればドラッカーかなと思う。

 

本は、美しい。
(続く)

 

f:id:hirokatz:20200903124625j:plain

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

  • 作者:高橋 宏和
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: Kindle版