積ん読とトキメキと(その3)

積ん読vsトキメキの話。

 

積ん読は今や国際語だ。
Wikipedia英語版にはちゃんと「tsundoku」の項があるし、2018年にはイギリスBBCで「tsundoku/積ん読」の特集が組まれた(*)。

 

「積ん読」を一躍世界に広めた功績者の筆頭はもちろんエラ・フランシス・サンダースだ。
サンダースの本『翻訳できない世界のことば』(創元社 2016年)は彼女の美しいイラストとともに、そう簡単には他国語に翻訳できない世界中の言葉を紹介している。
日本語からは「TSUNDOKU」(p.90)とともに、「KOMOREBI/木漏れ日)」(p.32)や「WABI-SABI(わびさび)」(p.56)などが取り上げられている。

 

同書では、「TSUNDOKU」を〈積ん読。買ってきた本をまだ読んでいない本といっしょに、読ますに積んでおくこと。〉(p.91)と説明している。WABI-SABIを感じさせるイラストと世界中の知らない言葉が満載のこの本は、TSUNDOKUでも良いのでぜひ手元に置いておきたい一冊だ。

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「本棚を見せてみたまえ。君がどんな人か当ててみせよう」。古人が言った。
読み終っていない本が積んであるのに、なぜまた本を買うのか。それは、本は買う物だからだ。

 

本屋を彷徨うワクワク、おめあての本を見つけた喜び、探している本の近くで面白そうな本と遭遇した嬉しさ、お気に入りの本が手元にあるトキメキ(しまった、敵性語だ)。そんなものをギュッと凝縮したのが本だ。買わずにはいられないだろう?

 

トキメキ軍総大将こんまり氏の言を再掲する。
〈そもそも本というのは、紙です。紙に文字が印刷してあって、それを束ねたモノを指します。この文字を読んで、情報をとり入れることが、本の本当の役割です。本に書いてある情報に意味があるのであって、「本棚に本がある」こと自体に本来、意味はないわけです。〉(『人生がときめく片づけの魔法』p.123)

 

違う。断じて違う。
文字に書いてある情報は、本の価値の一部でしかない。
『はらぺこあおむし』やきむらゆういち氏の仕掛け絵本、エンデの『はてしない物語』、そうした本を電子書籍で読んでなにが楽しいというのか(楽しいけど)。
ずっしりとした質感や美しい装丁、ページを開くと立ち上がるインクの匂い、そうしたものもまた、本の与えてくれる喜びなのではないか。
明朝体にゴシック体、ボールド体にイタリック体、一言で文字といってもさまざまだし、それぞれに持たされる意味は違う。フォントの話だ。
情報摂取だけが目的なら、鼻の穴にLANケーブルでも突っ込んでろ。
(続く)

 *…https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45002434

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