「読んじゃったから、これあげるよ」
別れ際に旧友Rが一冊の本をぼくに手渡した。
ありがとう。もらってばかりじゃ悪いから、なにかお返しを…そう言いながらぼくは自分のカバンをあさり、かわりに別の本をRに渡した。物々交換成立。
〈「俺たちは葬式にもウィスキーを飲む」と土地の人は言う。「墓地での埋葬が終わると、みんなにグラスが配られ、土地のウィスキーがなみなみと注がれる。みんなはそれをぐいと空ける。墓地から家までの寒い道、さらだを温めるためだ。飲み終わると、みんなはグラスを石にたたきつけて割る。ウィスキーの瓶も割ってしまう。何も後に残さない。それが決まりなんだ」
子供が生まれると、人々はウィスキーで祝杯をあげる。人が死ぬと、人々は黙してウィスキーのグラスを空ける。それがアイラ島である。〉(村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮文庫)
そんな言葉がその本には書いてあり、ぼくはそれを美しいと思った。
どんよりとした鈍い灰色の空の下、アイラ島の人々が生まれ、育ち、そして死んでゆく。傍らには常に、土地のウィスキーがある。
そうした地に足のついた酒とのつきあいというのは、なんだかとても美しく見える。
酒と生活と言えば、いつかはやってみたいのがペルー式の飲み方だ。
彼の地の乾杯の仕方はちょっと変わっていて、グラスを手に持ってこう言う。「パラ・アリバ、パラ・アバホ、パラ・テュ、パラ・ミ」。訳すとこうなる。「天に、地に、君に、ぼくに」。そう言ってグラスを上に掲げ、下に降ろし、呑み仲間に近づけ、自分に寄せる。天と地と人間が呑み仲間なんて、なかなかに素敵なことで、ちょっと李白の詩を思わせる。
本の中で村上春樹はスコットランドとアイルランドを旅し、ウィスキーを飲む。
旅と酒というのはとても魅力的で、下戸のぼくでさえいくつもの光景が頭の中をめぐる。
マサイマラのホテルのバーで開けたケニアのビール。ハルピンを目指す夜行列車の中で仲間と飲んだ白酒。和歌山の山奥で飲み続けた日本酒。大草原のゲルの中でモンゴリアンじゃんけんに負けて飲んだアイラク。パリのユースでポーカーに負けて一気に飲んだ瓶ビール。じゃんけんもポーカーも負けてばかりだな。
Rからもらった本はこうして楽しく読んだ。
かわりにぼくがあげた本、『僕(やつがれ)!!男塾』という激アツ濃厚パロディ漫画、彼は楽しく読んでくれただろうか。