やり遺した仕事のことなど。

やり遺したことがある。
 
社会制度というものは、その国やその社会の国民性や国民感情の上にある。
だから医療制度を考えるには、その国その社会の死生観や倫理観を熟知しなければならない。
制度を国民生活を入れる器とすれば、器におさまる国民生活をよく分かっていなければ、いくら制度をいじってもうまくいかないだろう。
良い靴屋というものは、靴のことだけではなくそこに収まる足のこともよく知っているものだ。
 
だから常々、日本人の死生観というものをしっかり捉えたいと思っていた。
でもどうやって?
 
様々な社会現象をピックアップしてああだこうだと論じれば、なんとなく日本人の死生観を論じた気にはなれるだろう。
コロナ禍もあり進んだ葬儀の簡略化や、家族葬・直葬などの増加を指して「日本社会は死を簡略化しつつある」と論じることもできる。
だがその手法は本当に正しいのだろうか?
まずは結論ありきで、その結論にあった事象だけを取り上げることも出来てしまう。
出来るだけ客観的に、日本人の死生観の変遷を捉えるにはどうするか。
 
忙しい経営者の中には、どれだけ忙しくとも毎年の直木賞や芥川賞の受賞作品だけは読む、という人がいるという。そこに時代の気分が描かれているからというのがその理由だ。
炭鉱のカナリアのように、作家や芸術家は時代の気分やその変化を鋭敏に感じ取る。だからその時代その時代の一級品である直木賞や芥川賞を丁寧に追っていき、その中で日本人の(日本人以外もあるが)死や生がどう描かれてきたかを調べれば、日本人の死生観の変遷を準・客観的に把握できるのではないかと考えた。
 
だが芥川賞受賞作を順に読み解き日本人の死生観の変遷を把握するという仕事は結局、やり遺したままである。
水先案内人として買った『芥川賞ぜんぶ読む』(菊池良著 宝島社 2019年)のあとがきに、〈(本の企画が決まって)「もう逃げられない」と思った私は、それまで勤めていた会社を辞めて芥川賞に専念することにしました。〉(p.348)と書いてあって怖気づいたからだ。
 
芥川賞受賞作84年間ぶん180作品(同書刊行時点)を読み切るのに仕事辞めて約1年かかったそうです。
本のマンガのようです